075.ひとでなしの恋 「あったかいなあ…」 日向ぼっこでもしたら気持ちよさそうだなと誰もが思いそうな、そんな暖かい日。 んーと背伸びをしてから、アレンは周りの木々を眺めて人知れず笑う。 ここに来たばかりの頃はいっそ不気味にも思えたほどに深い森は、今は綺麗な深緑の色でアレンを楽しませてくれる。 街からも人からも離れたここは、慣れてしまえば本当に楽園で。 住めば都と言ったら森に失礼になるかもしれないが、本当に自分はここが好きだと思う。 思い切り外の匂いを堪能してから、アレンは家へ戻るために後ろを振り返って軽いため息をついた。 「さてと、どこにいるんだか」 「グレーン」 そう広くない三階建ての洋館に、アレンの声が響く。 森の中に建っているため、他には鳥の声しか聞こえない。 「グレン、どこだー」 のんびりゆっくりと歩きながら一つ一つ部屋を確認していく。 寝室、客間、キッチン、広間。 そのどこにもいなくて、そしてまた一つ、部屋の扉を開ける。 「いないし」 二個目の客間であるここにもいない。 一体どこにいるんだかと肩をすくめて、また廊下を歩いて次の部屋の扉を開ける。 そんなに広いわけではないのに無駄に部屋数が多くて面倒なこの家は、それでも二人には心地いい。 人が離れて久しかったのか、二人がここに訪れて一週間は掃除が大変だったのだけれど、部屋数が多すぎて今はもう放っておくことにしている。 どうせ人口は二人なんだし、使うところだけきれいにすればいいだろと掃除しすぎて疲れきった相手の案に、同じく疲れきっていたアレンは力なく頷いて。 「それでも探す手間がかかるんだからなー・・・あの時点で掃除やめといてよかった」 独り言を呟きながらも、また一つ扉を開ける。 質の良い―――もしかして金持ちの家だったんじゃとアレンは思う―――調度品だけで、目的の人物の姿はなかった。 「グレンー」 「…アレン?」 「グレン?」 探していた人物の声に、次の扉を開けようとしていた手を止めて反射的に顔をあげる。 そのままの高さで横に視線をうつすと、二階への階段の途中にある踊り場から手が見えた。 ひらひらと適当に動かされているそれを見て、なんだか予想がついてしまう。 考えれば、あの踊り場は大して広くもないけれど突き当たりの壁全体が窓になっているから日当たりは最高にいい。 眠るのが大好きな、というよりは趣味といってもいいほどに睡眠を好む相棒がいるところとしては絶好の場所なのに、どうして一番に思いつかなかったのかと頬をかいて、アレンは一段一段が低いせいか意外と長い木製のそれをゆっくりとのぼっていく。 タンタンタンと、木を踏んでいるにしては柔らかい音がするのは上質の木を使っているからだろうか。 「グレン」 踊り場近くまであがり、手すりをつかんでひょいとのぞきこめば思ったとおり。 折れ曲がった優雅な階段の、ガラス窓になってはいない壁によりかかって座り、あくびをしているグレンシールの姿。 どうやら今の今までうたたねをしていたらしい、緑の猫目が眠そうに細められている。 突き当たりの壁一面の窓ガラスは二十センチ四方の黒い枠で飾られていて、ちょうどよい具合に調整された暖かさの陽がグレンシールに降り注いでいた。 間違いなく幸せなその光景に、ついアレンの表情が弛む。 「探したんだぞ?」 「ん、それで起きた」 だろうな、と返しながら手すりに体重をかけてもたれるアレンは笑いながらグレンシールを見下ろし、そんな彼をグレンシールは猫のような仕草で見上げる。 そしてス、と手を差し出して「お前も寝るか?」と問い掛けてきた。 「ん、それもいいかも」 以前なら「誰が寝るか」と返していたが、今は。 まだ寝るのかと呆れながら、それでも笑ってそう答えたアレンは、既にもたれかかっていた手すりから離れている。 そしてグレンシールの隣に座って、ふと足元にある地図に気づく。 ああ、やっぱり気づいていたんだ。 そう思ってから、しかし表情に出すことなくアレンはゆっくりとそれを拾って、広げた。 「今度はどこにする?」 穏やかに笑って問い掛けるアレンに、グレンシールは未だに眠そうな顔をしながら、それでも。 「…西にでも行ってみるか」 と答えた。 以前ならやはり「どこでもいい」と答えていたけれど。 今は。 「西?」 「そう。ワインがうまいらしい」 「ワインか…それもいいかもな」 うんうんと頷くアレンを、グレンシールは細めた目で見つめる。 それからすべりのいい黒髪に指で触れて、「お前は?」と促した。 「俺は…そうだな、北かな」 「何でまた」 「雪が降るだろ?久々に見たいと思って」 「雪か」 「うん」 以前なら、毎年見ることができた。 見るだけじゃすまずに、外に出るのが困難なほどに積もることもあった。 だがそれも、数年前までの話。 「ああ、でも南もいいかもな」 そう笑顔で話すアレンに、グレンシールは呆れたような表情をする。 「北かと思ったら今度は正反対の南?相変わらず気まぐれだな」 「う、うるさい。お前だってそうだろ」 「はいはい、それで理由は?」 「お前、聞き流してるだろ…」 「ご名答。さすがだな」 「ご名答、じゃない!ちゃんと聞けグレンシール!」 「はいはい」 以前なら、自分達のやりとりを見ていつものこととため息をつく者や、それでも放っておけずに止めに入る者がいたのに。 今は自分達以外、誰もいない。 この洋館にも、周囲にも。 「うー…で、結局どうする?」 顔を赤くしながら話すアレンはひどく幼くて、グレンシールの苦笑を誘う。 しかし素直にそれを表に出すとまた怒るから、仕方なく内心に留めてグレンシールは地図を覗き込んだ。 「間をとって南西か北西にするか」 「それもまた微妙だな」 「じゃあどうする?」 「うーん…」 ―――ひとでなしの恋と、言われた。 自分達の住むこの世界は、同性の恋愛を極端なまでに禁止していて。 一体何故と疑問に思うほど、世界はそれを禁じていた。 「あ、じゃあこっちは?」 地図の右側をさして、アレンが言う。 グレンシールは渋面をつくってため息をついた。 「…そっちは東だろうが」 「だって見てるうちに行きたくなるもんだろ?」 「お前な…」 生まれた時から何度も耳にしていたし、まさか自分がそうなるなんて思ってもみなかった。 それまで仲の良かった友達には誰にも言えず、家族だけにそっと話して。 家族を愛していたし、自分を愛してくれていた。 だが話し終わった後、家族の態度はひどく悲しいもので。 「諦めろ」 「やめなさい、気持ち悪いわね」 「馬鹿な奴だな、何を考えてるんだ」 応援してくれるとは思ってなかった。 禁止されているのだし、利口なことじゃないことは分かっていたから。 それでも、止められはしても侮蔑の目で見られ、非難されるとは思ってなかったのだ。 こちらの意思が変わらないことを知ると、家族は無理やり自分を部屋にとじこめた。 その馬鹿な考えを捨てるまで外に出さないと、そう断言して。 家族にそう言われたことが悲しくて、それでも自分の意思はかえられず。 そのまま家を、飛び出した。 「じゃあ西でどうだ?」 「それは俺が最初に言っただろうが」 「そ、そうだっけ?まあ気にすんなって」 「…ま、いいけどね」 よもやのために、約束はしていた。 着のみ着のまま、それでも金だけはしっかりと持って夜の街を走る。 息をきらせながら約束した場所へ行くと、そこにはすでに相手がいて。 「…なー、グレン」 グレンシールによりかかって、ふとアレンは目を閉じる。 「ん?」 お互いの表情から、どうなったかを察するのは簡単だった。 「眠いな…」 「寝るか」 「うん…」 相手の悲しみを受け止めるように、ただ抱きしめあって、そして。 自分達は逃げた。 「ここ、気持ちいいなー…」 「他の季節は知らないが、暮らしやすそうだしな」 「だな。周りは自然だし、いいとこだよな」 抜けだしたことに気づいた家族が追ってきても、自分達は走って逃げ続けた。 その家族の最後の言葉が。 「…グレン」 「何だ?」 どうしようもなく、今が幸せで。 不幸かもしれないけれど、どうしようもなく幸せで。 アレンはゆっくりと目を閉じて、グレンシールがそれを優しく見つめる。 すぐ側にあるこの温かさが、どうしようもなく嬉しい。 「北、にしていいか?」 「北?」 「うん。…北」 自分達が欲しかったのは陽射しの暖かさではなくて、お互いの温かさ。 友達や家族のでは駄目で、ただただ、この男の温かさが欲しかった。 「じゃ、そうするか」 あっさりと、何の反論もすることなくグレンシールは承諾した。 西はどうだと自分で提案しつつも、結局彼はアレンを選ぶ。 アレンがためらいもなくグレンシールだけを、選ぶように。 「んじゃ、次はグレンが行きたいところな」 次。 この言葉を、自分達はあと何回繰り返すのだろう。 ずっと繰り返さなければならない、自分達。 「暑いのも寒いのも嫌だからな。行くなら西か東だ」 「分かってるって」 同性しか愛せないというわけじゃない。 それまで異性と付き合ったこともあったし、むしろ同性を好きになるなんて思ってもみなかった。 お互いに会い、そして惹かれて。 こいつだから自分は好きになったのだと、誰の前でも断言できる自信はある。 あるけれど、世界が重視するのは「こいつだから」という部分ではなくただ「同性愛」というところだけ。 だから自分達は逃げ続ける。 世界が放った追っ手に、捕まらないように。 「…ばかげてる」 静かに相棒が呟いたそれに、一瞬で何を意味するのかを悟った片割れが静かに頷く。 この広い世界で、たった二人を捕まえるなど難しいことなのに。 世界はそれをやめようとはせず、ひたすら自分達を追い続ける。 だからこそ、各地を転々としてきたのだけれど。 「明日、発とうか」 思いついたように、だが数日前から考えていたことをアレンは言った。 一つの場所に留まるのはあまり得策ではないから、今までは全て一月もしないうちに発っていたのだが、ここに来てからはもう三月にもなる。 深い森に囲まれたここは、人からも外界からも閉ざされていて、とても居心地がいい。 そのせいでこんなに長居をしてしまったが、そろそろここを離れないと危険だ。 それが分かっていたからこそ、グレンシールはこの踊り場で地図を広げていたんだし、アレンは彼を探していたのだ。 次はどこに二人で行くか、話し合うために。 「潮時だしな。…ここも」 何気ない声のなかにもアレンの気持ちを感じ取り、仕方ないというニュアンスを含めてグレンシールが返す。 確かなその優しさに笑って、うんと小声で頷いてからアレンは腕を上にあげてんー、と大きく伸びをした。 明日でお別れだから、ここの陽射しの暖かさを存分に味わおうとでも思ったのか。 そのまま隣の男の肩に頭をのっけて、眠りの態勢に入る。 グレンシールは何も言わずにその黒髪を見つめ、浮かんできたあくびを噛み殺した。 そして自分ももう一眠りしようと、目を閉じようとした時。 アレンの穏やかな声が聞こえた。 「雪…見れるかな」 明日から向かう予定の、北の大地で。 故郷と同じ雪が見れるだろうか。 「久々に、見たいんだ」 「そうだな」 思い出すのは、自分達を追ってくるお互いの家族と、白い雪。 ざくざくと踏みしめて、自分達は逃げてきた。 懐かしくないわけじゃない、帰りたくないわけでもない。 できれば会いたいし謝りたいけども、それでも自分が選ぶのは、隣の。 「……グレン」 「アレン」 この男だから。 家族に辛い思いをさせても、一つの場所に留まれないことを分かっていて、ずっと辛い思いを抱えていかなければならないことも分かっていても、自分達は互いを選んだのだ。 他人から見たら不幸だと思われても。 自分達のせいで、家族が不幸になっても。 それでも、この幸せはゆずれなかった。 愛しい人と一緒にいられる幸せは何事にも代えがたく、世界に阻まれても諦めることはできなくて。 「一緒に…見ような?」 「当然だろ」 ひとでなしの恋、と。 例えそう呼ばれるものであっても、自分達はその幸せのためにこれからも逃げ続ける。 まどろんでゆく意識のなか、二人はただそれだけを。 祈り、思った。 辛くて悲しい、とても幸せな、世界で二人だけの恋。 2004 6 27 昔の雑誌をパラパラとめくっていたら、階段の踊り場の写真がふと目につきまして、 そこから色々と浮かんできて、一気に書き上げたものでした。 おかげで目も当てられぬ出来に…。 ご精読ありがとうございました。 |