077.欠けた左手 二週間前。 グレンシールが、いなくなった。 俺の前から、綺麗にいなくなった。 今までずっと側にいたのに。 誰よりも、近くにいたのに。 空気のように俺の隣にいたのに。 グレン。 「アレン様…」 「ん?どうした?」 「いえ、その…」 執務机の上に積み上げられた書類。 その向こうから、困ったように俺を見る副官。 何故か、とても悲しそうな困ったような顔で。 ああ、そうか。 「悪い、心配させて。俺は平気だからさ」 あいつがいなくても、大丈夫だから。 副官は俺達の関係を知ってるから、心配してくれたんだろう。 そんなに危なそうに見えるんだろうか。 そんなに俺は―――あいつに寄りかかってるように、見えていたのだろうか。 思わず苦笑がもれる。 確かにあいつのことはすごい大事だったけど。 まるで左手が欠けてしまったみたいだ。 俺は利き腕が右手だけど、それでもものすごく大事な左手。 あいつがいなくなったのは、そういうのと似てる気がする。 「大丈夫だって。いつまでも落ち込んでいられないだろ?」 「ですが、アレン様…」 「それより、この書類頼む。これで、こっちにまわってきたあいつの分の書類、ラストだ」 たった今処理し終わった書類を最後の一山の上に乗せて、笑顔で無理やりにでも送り出す。 副官は何か言おうと口を開いて―――結局は、その書類の山を受け取った。 「…はい。では、すぐに戻ってきますので」 その言葉に、ついふきだしてしまう。 まるで、子供に言い聞かせる母親のようだ。 「俺は子供か?別にお前を困らせるようなことはしないって。大人しくここにいるよ」 だから早く行って来いって。 右手でひらひらと追っ払うふりをしても、副官は未だに逡巡してるようだった。 何をそんなに心配してるんだ? 別に、抜け出したりするつもりはないのに。 それでも書類の山を持っていかないわけには行かないから、最後に今までで一番心配そうな顔をこちらに見せて、ようやく副官は部屋を出て行った。 「やれやれ…」 ギ、と椅子が鳴る。 つい昨日まで、俺の執務室には書類が溢れ返っていた。 今はあいつの分は全て処理し終わって、あとは俺の書類残り二枚という、非常にすがすがしい光景になっているが。 窒息しそうな気分になりながらも、ただひたすらこの一週間手を進めてきた。 書類仕事は苦手だが、もうそんなことは言ってられない。 あいつの分までこっちにまわってきているから、俺が処理しなければ誰もできない。 俺がやらないと。 嫌味なほどに要領のいいあいつは、もういないから。 「全く・・・せめて全部処理してからいなくなれっつーの」 いつもならば書類をためるなんてことはしないのに、今回に限ってためていた。 大方、後でやろうとでも思っていたんだろうけどさ。 「残された俺の身にもなれよな」 『何言ってるんだ。そのくらい、一日で終わるだろ』 聞こえるのに。 「うるさいな、俺は苦手なんだからどうしたって遅くなるんだ」 『昔からそうだったよな、馬鹿アレン?』 「う、うるさいっ」 こんなにはっきり、聞こえるのに。 なのに。 「お前はもう…いないんだな」 こんなにまざまざと、お前の言うだろうセリフが分かるのに。 どういう表情か声音か、全部分かるのに。 意地の悪そうな笑みで目を細めて、俺をからかうのが楽しいっていうような声音で。 今にも聞こえてきそうなほど、覚えてるのに。 「いないんだな…本当に…」 頭が痛い。 気持ち悪い。 ずっと眠っていないからなのかもしれない。 でも眠いわけではないから、違うかもしれない。 そんなことよりも、残りの書類をやらないと。 これは、誰にも任せられないから。 俺にしか、できない。 「本っ当に世話の焼けるやつ…」 『何でこんなに世話がかかるんだ、お前は』 いつもいつも、そう言ってたのはお前だったのに。 グレン。 パラ、と。 一枚書類が減った。 残りは、一枚。 二枚あると言いつつも、これは他の書類とは違うものなので提出期限がせまっているわけじゃない。 全部で、ざっと五十枚くらいはあっただろうか。 書く内容が何しろ膨大でめんどうなので、一週間前から少しずつ進めていって片付けてきたから、今はあと一枚しかないし書き込むこともわずかしかない。 やっとこれで終わりなんだと思うと、自分に拍手を送りたい。 よくこの一週間、ぶっ続けで書類処理ができたものだ。 あんなに苦手だったのに。 「…お前がいた頃じゃ、考えられないな」 つい頬が弛む。 グレンがこの状況を見たら、何て言うだろうか。 「多分、『だったら最初からやっておけ』って言うんだろうな」 『俺に手伝わせたこと、忘れてないだろうな』とも言うかもしれない。 興味ないことはすぐ忘れるくせに、こういうことに関しては結構しつこかった。 本気で言ってるんじゃないってことも、分かってたけど。 カリカリとペンを進めて、最後に自分のサインをする。 「アレン、と」 これで終わり。 そしてたった今終えたばかりの二枚を、机の引出しにいれる。 そこには、一週間前からコツコツと仕上げてきたその書類の仲間が入っていた。 内容の関係した、五十枚ほどの書類。 「よく頑張ったよなぁ、俺」 大まかにしかまとめていないが、多分大丈夫だろう。 グレンシールのはもちろん、自分の副官も優秀だ。 これだけあれば大丈夫なはず。 パタンと引き出しをしっかりと閉めた。 せっかく頑張って仕上げたものを、汚すわけにはいかない。 「さて、と」 溜まりに溜まった疲れを吹き飛ばすように、大きく伸びをする。 固まっていた筋肉が伸ばされて気持ちいい。 ずっと運動をしていなかったから余計に。 「俺らしくないな」 身体を動かすことよりも書類を優先していたなんて、本当に俺らしくない。 苦笑しながら、ふと壁に立てかけてある愛剣が目に入った。 その隣にあるのは―――あいつの剣。 もう二度と、主に握られることのない剣。 「…なあ、グレン」 『あ?』 「……すごかったんだぞ」 『何がだよ』 「みんな気落ちして・…みんな、泣いてた」 お前がいなくなったことで、みんなの気落ちぶりは本当にすごかったんだ。 お前の隊の奴はもちろん、俺の隊の奴もみんな。 「結構俺の隊の奴にも好かれてたみたいだな、お前」 ちょっと前に新しく入った奴らは、お前のこと怖がってたのに。 そいつらも、みんな。 泣きはしなくても、悲しんでくれた。 グレン。 「…お前の隊の奴なんか、みんな大泣きだったんだぞ」 副官も部隊長も、新しく入ったばかりの奴らも大泣きだったんだ。 レパント大統領やバレリア、解放軍からの仲間も悲しんでくれたんだ。 ギシ、と椅子が鳴る。 席を立って、壁に立てかけてある剣の元へ歩いた。 二週間前から、ずっとこの位置にある二つの剣。 あの日あいつは、必要ないからとここに剣をたてかけて、街の巡回に行った。 すぐに戻ってくるはずだったのに。 「それにしても、何で柄にもないことしたんだよ、お前」 『うるさい』 呆れたような声で、あいつの剣に話し掛ける。 緑色の、あいつの官服と同じ色の剣。 俺があいつと過ごしたのと同じくらいの時間を、あいつの側にいた剣。 「子供は嫌いだって言ってたじゃないか」 『別に、気が向いただけだ』 月に一回、色々なところから集まった商人がグレッグミンスターの街に市場を広げる。 普段はお目にかかれない食料や出し物があるから、街はいつも以上に活気づいて。 そんな中で諍いが起こらないとも限らないから、巡回と警備はずっと俺達の仕事で。 今までずっとやってきて、何もなかったのに。 「柄にもないことしたから、いなくなる羽目になったんじゃないのか?」 『さあな』 到着が遅れて急いでいた商人のキャラバンの前に、子供が飛び出して。 グレンシールは、その子を庇った。 「何やってんだよ…」 『………」 咄嗟だったんだろう。 いくら子供が嫌いとは言いつつも、目の前で危ない目に遭おうとしているのを知らないふりをするような奴じゃないっていうのは、俺が一番知ってる。 でも何で。 「何でいなくなるんだよ…お前…」 受身が取れなかったわけでも、何かミスをしたのでもない。 キャラバンの車の部分が頭にぶつかって。 医師を呼ぶ暇もなく、グレンシールは。 グレンシールは、いなくなった。 「グレン…」 綺麗な、寝顔で。 身体に外傷はすり傷くらいで、ただ頭から血が出ていた。 髪を赤く染めて、頬にも一筋それが伝っていたけど。 その顔は、いつも見る寝顔と変わらなくて。 俺は信じられなくて。 「やっと認められたのが一週間前だっていうんだから…情けないよな」 お前がいなくなったのを認めるまでに、一週間かかった。 頭で認めてないのに、体はちゃんと葬儀とかを進めてたんだから人間ってすごいと思う。 「…グレン」 お前がいなくなったのを認めて一週間、俺頑張っただろ? 葬儀も滞りなく済ませたし、お前の分の書類も全部片付けた。 ただ、家だけは残してあるけど。 「代わりに、俺の家を売ったから。俺がお前の家に住んでるけど文句ないだろ?」 『…汚すなよ』 「汚すわけないだろ。ずっと綺麗だって」 聞こえないはずなのに、聞こえる声。 これほどまでに、覚えてるのに。 もう、いないんだな。 立てかけてある剣を―――自分のではなくあいつの剣を、柄を握って持ってみる。 対につくられているから同じはずなのに、やはりどこかしっくりこない。 でも、これを自在に扱うあいつは、もういないから。 「…なあグレン。みんな泣いてたって言っただろ?」 なのに。 「でもさ、俺は」 みんな悲しんで泣いてたのに。 俺は。 「…泣けないんだ」 笑えるし、食事も喉を通る。 仕事もできるのに。 「泣けないんだ、俺」 『結構涙腺弱いよな、お前』 お前に、そう言われたのに。 泣けないんだ、俺。 「お前が、いなくなるからだぞ」 『はあ?』 「だから泣けないんだ」 『人に責任を押し付けるつもりか、お前…』 呆れた声音に、くすりと笑いがもれる。 「うん。でも、もうそういうのは終わりにする」 『終わり?』 「ああ。これ以上、みんなに心配させるのも悪いしな」 『へえ』 チャキ、とあいつの剣を構える。 書類は全て終わらせた。 必要なものも、一応全てそろえた。 汚れないように引出しの中にいれたから、全て大丈夫のはずだ。 静かに息を吸う。 「グレンシール」 大丈夫だ。 『ん?』 「お前、俺の側にずっといただろ?」 人の急所がどこにあるかは、今までの経験でよく知ってる。 『…まあな』 「だから、急にいなくなられるとどうしていいか分からなくなるんだ」 どこをどうすれば、すぐに殺せるか。 手にとるように分かるから。 『………』 「…グレンシール」 『……アレン…』 ザシュ、と耳の近くで音がした。 聞きなれた、人の肉を裂く音。 ―――首筋が熱い。 そのまま景色がゆれて、何かが倒れたような音が響く。 …ああ、俺が倒れた音だ。 ぼんやりと横に目をやると、同じように倒れたあいつの剣が見えた。 刃の部分が、血で濡れてる。 「……っ、…」 これで、もう大丈夫だ。 副官に言った通り、困らせるようなことをするつもりはない。 書類は全て終わらせたし。 引き出しにしまった引継ぎの書類は、飛び散った俺の血で汚れることもないだろうし。 これで心配させることも、もうない。 欠けた左手。 右手と対になってるもの。 俺の利き腕は右手だから、右手があれば生きていけるけど。 俺にとって、欠けた左手は利き腕の右手以上に大事だった。 欠けた左手。 グレンシール。 2004 2 15 グレン死にネタと見せかけて、後追い自殺してるから二人とも死にネタ。 読み終わったら一度反転して見て下さい。少しだけセリフが出てきます。 私的に、相棒がいなくなってその後生きていけないのは地猛星のような気がします。 死んでしまったのを認めて、そのまま自分も死ぬという。 地奇星は、相手が死んでしまったのをずっと認めようとしないで生きていきそう。ひねくれてますからね! でもアレンが「死んでしまった」じゃなくて「いなくなった」っていう表現をつかっているのは、まだ完全に認めることができてないから。 ご精読ありがとうございました。 |