「ようこそ、グレンシール殿。お待ちしておりました」
「本日はお招きいただいてありがとうございます。さすが、立派な店をお持ちですね」
電話での印象からして余計な挨拶は好まないだろうと思ったが、それでも今言ったことは正直な感想だ。見事な内装で、だが派手な感じを受けないのはこの人物の人柄が表れているのか、雰囲気は抜群にいい。
「そう言って頂けると、リニューアルした甲斐もあったというものです。どうぞお座り下さい」
誘われるまま、部屋の中央に設けられている円卓にグレンシールとクレイはついた。
店内で一番の部屋に通されることは意識せずとも分かっていたが、実際に来てみればそこは予想を遥かに上回る部屋だった。店全体の雰囲気を壊さずに、それでも豪奢なことは一目で分かる。それはまるで、華僑一の力を表しているかのように。
「改めまして、初めてお会いします。テオ・マクドールです」
「グレンシールです。先代の時はお世話になったようで」
「バルバロッサ殿ですね。お会いしたのは三度ほどでしたが、私はその度に圧倒されていましたよ。…とても立派な方だった」
思い出すような朗らかな口調に、頷きだけで返す。
本当に立派な人だった。だが、この目の前の人物も劣らないだろうと思う。
敵か味方かに分類すれば、今の時点では間違いなく『猫』は敵のはずだ。なのにその敵を、なんのてらいもなく立派だと言えるとは。
 実直な人物だ。そして、力強い。
あののカリスマは、間違いなくこの男から受け継がれたものだと実感する。
「さて、料理を運ばせましょうか。ここの料理人は我が祖国でも随一と言われておりますし、きっとご満足いただけると思いますよ」
その言葉と同時に扉が開かれ、円卓にコトリコトリと小さな音を立てながら料理が置かれていく。チャイナドレスを纏った女がそれぞれのグラスにワインをついで、そっと離れた。
料理とワインが混ざりあった豊満な香りが漂う中で、テオは自分のグラスを軽く持ち上げて笑ってみせる。
「お気づきだとは思いますが、私は無骨な性格なもので回りくどいことは好みません。本来ならこういう時の前口上は必須でしょうが、今日はご勘弁願えますか」
砕けた笑顔で話す相手に、グレンシールはつい苦笑してしまう。嘲りなどのそれではなく、あまりに実直すぎるテオの様子が好ましく思えてしまう自分に対してのものだ。
どうもペースを狂わせられると思いながら、グレンシールは頷いて相手に同意した。
「ええ、私もそういうのは好かないので、実を言うと助かります。堅苦しいのは面倒で」
最後の一言で、部屋にテオの明るい笑い声が響いた。
「いや全く、同感です。特に礼儀を重んじる世界の住人である貴方の口から、まさかそんなことが聞けるとは思ってもいませんでした」
「どうしても先方に礼儀好きなのが揃いますから、必然とそう感じるようになってしまうのですよ」
先程のグレンシールの答えが余程気に入ったのか、なるほど、と頷くテオの声には少なくない笑いが交ざっている。
 一方グレンシールの隣に座してはいるが、口を挟むことなく控えているクレイは僅かに困惑した表情で、あまりに正直すぎる自分のボスを見やった。
自分達マフィアの世界は礼儀と硝煙の世界だ。好きも何もそれが当たり前なのに、面倒の一言で片付けるとは。
いくら目の前の相手が実直な人物とはいえ、少しあけすけ過ぎるのではないかと内心僅かに焦る。
 そんなクレイの気持ちを知ってか知らずか、グレンシールは優雅な仕草でワインを一口飲んで喉を潤した。未だくつくつと笑うテオもグラスを口に運び、そしてそれが離れたかと思うと朗々とした声がグレンシール達に向けられる。
「では堅苦しいのが嫌いな者同士、今日は気楽にいきましょう。どうぞ召し上がって下さい」
軽く頷いて、グレンシールは数ある料理の中から手近のものを選び、少量を皿に盛った。正式な席でのそれとは違ってターンテーブルに置かれた数々の皿を見ると、言葉どおり本当に気楽にいくつもりなのだということが伺えて苦笑が絶えない。
 どうも、人を魅せるのに長けた親子だ。
そして確信する。
「チャイナタウンの一件はやはり、貴方ではないのですね」
前触れもなくいきなり切り込んだグレンシールのそれに、ぴたりとテオの笑い声がおさまった。
先程までが嘘のように一瞬にして空気が張り詰め、テオはゆっくりと、ターンテーブルの向かいに座るグレンシールに視線を定めた。それを感じていないかのようにグレンシールは口元に薄い笑みを添えたまま、真っ直ぐに見返す。
 一般客のざわめきも、いくらその賑わいが大きくても店の奥であるこの部屋にまでは届いてこない。
数瞬の緊張が走り、そしてある種の沈黙が広い部屋を支配した。
テオとグレンシールは互いを見つめ、相手に気圧される風がないのを見て取ると、テオがその口の端を僅かにあげる。
「ずいぶんと直接的ですね。私が言うことではないのかもしれませんが、こういう時こそ前口上は必須では?」
「相手が貴方ですから。他の者が相手なら必要に応じますが、貴方相手に小細工は無用でしょう?」
 腹の探り合いを良しとしない貴方に。
加えて言われたその言葉に、テオは表面だけの笑みを僅かな苦笑に変えた。
 食えない青年だ。
確かに回りくどいことを好まない素振りは見せていたが、ここまで直接的に切りこまれるとは思ってもみなかった。そしてそれを、不快に感じていない己がいる。
この陰謀渦巻く世界で相手の気質を見抜いて応じるのは口で言うほど簡単なことではないのに、そこまで自分の気質を見抜かれているのかと目の前の青年を再度見つめた。歳若いからといって油断したわけではないが、その能力は思っていた以上に高いらしい。
 ふ、と苦笑を緩めると同時に張り詰めた空気がまた一瞬にして解けて、それを感じ取ったグレンシールが仄かに目を細める。
「ええ、私ではありません。そしてグレンシール殿が思われている通りのことが起こっているのも、確かです」
 すなわち、内部分裂。
「よろしいのですか?」
テオ自身の口から語られたそれに、グレンシールは慎重に言葉を返した。
『猫』がそれを考えていたことはあちらも確信していたのだろうが、華僑が華僑であるが故の、血の絆。それに亀裂が生じたことを華僑の長であるテオが認め、そして一族以外の人間に口外してしまっても。
二重の意味をこめて訊けば、テオは穏やかに頷く。
「隠しても仕方がないことでしょう。今、私ども華僑の内部は混乱の中にいます。だからこそ、『猫』の貴方にお会いしたかった」
「…うちと、提携を?」
テオの言いたいことは、つまりこれなのだろう。
 だが、理由が分からない。
内部分裂が起きているのは確かなのだろうし、あのチャイナタウンの件から見てもその亀裂が大きいのは分かる。しかし、それでもいきなり『猫』と手を組みたいというのは突飛すぎる。外の手が入るのを嫌うのが華僑であり、そもそもテオの力は未だ強大だ。
確かにこの地だけで言うのなら『猫』も負けはしないが、華僑は世界中に散らばっていてその規模からして違う。内部分裂が更に顕著になった時に『猫』が多少の手助けをしたとしても、大して変わりがないのは今の時点で目に見えているのだ。
確かめるように相手を見つめれば、人の上に立つべき黒い瞳にじっと見つめ返される。
 あの少年と、同じ色の。
「もちろんメリットは用意しております。私が所持している株の一部。これをグレンシール殿、貴方にお譲りします」
「……」
 それは法外とは言えないまでも、メリットとしては充分なほどのもの。
華僑の長からしたら痛くも痒くもない、とは思わない。だが惜しげもなくそれを譲るほど、『猫』と手を組むのは重要なのだろうか。
「…何故、そこまで」
言葉少なに呟けば、テオは今までのどの瞬間よりも実直な表情で、言った。
「…息子の、ためです」
その短い呟きの中に。
 グレンシールはとても強い意思を感じた。
意思というよりは決意のような、呟きのなかにそんなものが、あの少年への愛情と共に凝縮されている。
 への。
黒髪のあの子供を思い出して、グレンシールは一瞬目を伏せた。
「……分かりました」
隣の気配が僅かに身じろぎし、テオは―――予想していたよりも、表面に感情を出した。口元を綻ばせてこちらを見るその様子に、偽りは見受けられない。
「…表立っての公表は?」
「しない方がいいでしょう。多少は流しますが、さざ波が立つ程度におさえるつもりです。真実を流す必要もない」
華僑の長と『猫』が提携したという事実ではなく、流すのはその逆。わざわざ反乱分子に餌をやることもないというテオに頷く。
 おそらく店の入口でグレンシールを出迎えたあの中にも、亀裂本人とはいかずともその下っ端はいるはずだ。『猫』と接触を持ったことを隠すのはいくらテオと言えども無理だが、接触によってできた繋がりを隠すことは、今回に限って容易い。
チャイナタウンの、あの事件の後ならば。
「では、うちは目に見えるくらいに警戒を強めるということで」
華僑と『猫』、互いのトップ同士の談合の後に『猫』がそのような反応をすれば、流される虚言は真実味を増す。全面戦争とはいかずともお互いを、特に『猫』が華僑を警戒しているという様を見せてやれば亀裂は簡単にそれを信じるだろう。
少し知恵のある者にとっては小細工にも及ばない、しかしあんな陳腐な事件を起こした人物がそれほど賢いとは思えない。そう思わせるためにわざとではと言われてしまえば反論はできないが、そうする意味は今のところ考えつかなかった。
何をするか心得たグレンシールの言に満足そうに頷いてから、一息ついて、テオは椅子に座りなおした。その意味を悟り、グレンシールは僅かに視線を落とす。
 なんとも早い、幕引きだ。
他の者だったらこうはいかない。無駄な見栄や猜疑心で時間を無駄に使う者もいれば、話し好きに見せかけてこちらの情報を無闇に得ようとする者もいる。もちろんターンテーブルの上の料理がすっかり冷めてしまうほどの時間は経っているが、一時間もかからずに本題をすませられたのは、お互いの性格が上手い具合にかみ合ったからだろうか。
 テオが何を言うでもなく、部屋の隅に控えていたチャイナドレスの女達が次々にテーブルの上の品を代えていく。再び湯気が卓上に舞い、濃厚な香りがそれに混ざって室内に広がった。
「それでは、仕切りなおしといきましょうか。二度目になりますが、どうぞ召し上がって下さい」
 一度目のその時に、話の腰を折ったのはグレンシールだ。
もしやこの実直な人物の軽い皮肉だろうかと、苦笑しながら頷く。
 その後は普通の会話だった。こちらの了承を得て目的が達成されたからかテオの表情は明るく、会話というよりは談笑で、時折笑いも起きた。結局グレンシールとクレイが店を出たのは日が変わって一時間ほど経った頃、まだ話し足りないが仕方ないと笑うテオにグレンシールも笑い返した。
 乗り込んだ車の中は、沈黙で。
気まずさのないその中に身を任せながら流れる景色を眺めて、思う。話し足りなかったのは、自分もだ。それも組織の者としてではなく、談笑する相手として。例えただの会話だとしても組織のことが出てくるのはお互いの立場からして仕方ない、だがそれすらも気にならない程に、テオと話したあの時間は過ぎるのが早かった。
 ―――惹きこまれかけていることは、自覚するべきだろう。
手元の小さな紙に視線を落とした。
 店を出るその際に手渡された名刺には、印刷された文字ではなくテオの人格を表すかのように大らかな字で、数字の羅列が並んでいた。テオに直接繋がる点は同じだが、こちらは変更されることのないもので、それは『猫』とテオが提携を結んだことを表している。
一通り眺めた後、胸元のポケットにしまった。
「…あ」
「どうかなさいましたか?」
そのことを思い出したのは車が屋敷に着く直前。意識せずに出た呟きに、クレイが耳聡く答えた。
「訊き忘れた」
「は?」
何故米名を使っているのか。どうでもいいことと言ってしまえばそれまでだが、なんとなく気になっていた。機会があれば訊いてみようと思っていたそれをすっかり忘れて、つい普通の会話をしてしまったけれど。
 まあ別にいい。
そう結論づけて、見慣れた外の景色に意識を流した。どうせまた話す機会はあるのだ。一月後か二月後か、それは定かではないけれど。
 クレイは僅かに首を傾げ、しかしそんな気まぐれな態度には慣れているためすぐに視線を前に戻す。
長い付き合いのおかげかこういう時、余計な気を回さない右腕の優秀さに微かに笑って、遠くに見える屋敷の明かりに目を細めた。
 また話す機会はある。
まだ自分達が結んだはずの提携はあやふやなところが多く、そしてテオも、『猫』がに何をすればいいのか明らかにしていない。だから必然的に、話す機会はある。
 そう思っていた。
そう、思っていたのに。

















その日も、雨だった。
アップタウンの屋敷で相変わらずな言葉の応酬をしていたキルキスの耳に、聞き慣れたエンジン音が聞こえた。
窓から外を、しかし庭ではなく玄関先を見やると、遠目にもBMWの助手席から女性が慌てて飛び出してくるのが見えた。その見覚えのある顔に、キルキスは後ろのビクトールに声をかける。
「アップルさん帰ってきたみたいですよ。なんか慌ててるみたいですが…」
「あぁ?あいつは新しく出てきたイタリア系の奴らについて洗ってるところだろ。何でたった半日で帰って来るんだよ」
「さあ…」
キルキスがそう言い終えた時、二人のいる部屋――― 一階リビングの扉が勢いよく開けられた。
「大変よ!ボスは!?」
アップルの飛び込んでくるなりのそのセリフに、室内にいる二人が瞬時に顔を改める。普段から真面目すぎると言ってもいいほどの彼女だが、重要な報せを持ってきたことはその表情と口調ですぐに分かった。穏やかだった部屋の空気が一気にざわついて、他の部屋にいた部下達もアップルの後ろから顔を見せた。
 窓際にいるキルキスが、いち早く口を開く。
「今日はこちらにはいらっしゃいません。今日の夜半過ぎにイタリアからお帰りになる予定ですが」
「ニューアーク空港だから、ニュージャージーの屋敷に直行のはずだ。この時間だと、もう飛行機乗ってるな」
腕時計を見やりながらビクトールが舌打ちをした。これでは電話をかけることもできない。
「屋敷で待ってるより空港に行った方が早い。…何があった?」
下っ端に指示をしていたキルキスも、ビクトールの問いにアップルを見つめる。
見つめられたアップルは一瞬目を伏せて、静まった部屋でポツリと呟いた。
「テオ・マクドールが…殺されたの」
 平和な時間が、終わった。
























2005 5 24
ニューアーク空港は主にヨーロッパ方面の便が出てるとか。ニュージャージー州にあるので、ニュージャージーの屋敷に直行するのです。
本文を打つよりも中華料理の正式なマナーとか空港とか調べるのが一番疲れました。

ご精読ありがとうございました。