02:ホラ、声出してみろよ









いつもは行かない図書室に入ってまだ一分も経ってないはずだが、静か過ぎるその空間にやっぱり自分には合わないと再確認した。
が、このさっさと出て行きたいという気持ちが腹の底から湧き出てくるのは決してそのためだけじゃない。
それよりも恐ろしい、もしかしたら俺今日が命日なんじゃと思うほどに恐ろしいあれに比べたら、こんな静まり返った空間にいることなんて天国だ。楽園だ。イッツアパラダイスだ。
 ってそうではなく。
今自分がやりとげなければならない任務を嫌でも思い出して我に返った。
いや、だけどそうなるのも仕方ないだろ、と本ばかりの教室を見渡す。
習ったばかりの異国語を呟いてしまうほどに現実逃避をしたい自分の気持ちは痛いほどに分かる。
なんせ自分だ、俺が分からなかったら誰が分かるんだ状態だ。
だけど現実としては痛いほどに分かっているのだ、どんなにこれが辛い状況かということを。
はあ、とため息をつく。
俺って何でこう、不幸な星の下に生まれたというか運が悪いというか。
これも人気者の運命なのだろうか、出る杭は打たれるという。
ああ俺って可哀相、薄幸って言葉は俺のためにあるんじゃないか、とまで考えて。
 ってだからそうじゃなくて。
再度現実逃避をしようとした自分にムチをうち、クレイは逃げることを辞めて図書室内を歩き出す。
 校舎の奥にあって目立たないから勝手に狭い印象を受けるが、その室内が意外と広いのはもう随分前から知っている。
よくこれだけ集めたものだと、感心を通り越して関心までもを通り越して呆れのため息しか出ないほどのこの蔵書は、クレイにとっては苦手な物というカテゴリーに分類されるものでしかない。
放課後だというのに人が全然いないのは、ここの生徒のほぼ大部分が自分と同じ意識だからだ。
レポート週間でなければこんな静かな空間に来る者は滅多にいないし、クレイ自身も当然その気なのだが、何故だかこの頃はよく、ここに足を踏み入れる機会が増えている。
(ああもう、俺ってお人よし)
内心で呟いて足を進める。
目的地はもう分かっていた。
「…、……」
ふと声がきこえて、これ以上進みたくないという気持ちが如実に顔に浮かぶ。
それは喉を通って胸を伝い、足まで届いてその意思に従うように一歩後退した。
 いや負けるな俺、頑張れ俺、根性見せろ俺。
自分を奮い立たせるために念じてみたが、さすがに三回も自分に呼びかけるのはうざいな、と他人事のように思ってみたりもする。
ここで立ち止まっていても自分に課された任務がなくなるわけもない、むしろ印象が悪くなるかもしれないという危険がある。
別に将来に夢を持ってここへ入ったわけではなかったが、それでも悪いよりは良い方がいいのだ。
 それに、と。
一歩後退してしまった足をまた進めて、図書室の奥へ奥へと向かう。
「………じゃ……か?」
「さ………ん」
少しずつ、言葉が聞き取れてくる。
どうか変な空気になっていないですようにと、信じてもいない神に祈った。
あはは、と笑い声がして。
(いい気なもんだよなあ、全く)
それに比べて我が身の不幸さといったら。
それでも、引き返したりはしない。
 本当だったら、というか、つい最近まではこの役目はクレイではなかった。
どっちかがいなかったらどっちかがどこからか見つけてくるというのがセオリーで、よくもまあ毎回見つけてこられるものだと感心していただけだったのに。
友人思いすぎる自分に呆れ、それでも来ないわけには行かない。
「……だろ?だから」
「もう終わったと思って……けどな」
かなり声が近い。
あそこの本棚を曲がった先にでもいるのだろう。
どうやら、今回は気まずい会話も変な空気にもなっていないらしい。
ほっと安心する。
何か気まずいことがあったら、学食で何か奢らせようとか思っていたのだけれども。
(ま、今回は何もなさそうだからいいか)
思って、何時の間にこんなお人よしになったのかと苦笑する。
いやもちろん元々お人よしな面があるのは自覚していたけれど、あの二人と会う前までは、のらりくらりと面倒事は避わしていたのに。
 それでも、真剣な夢を持っているのを知っているから。
「おいアレン、グレンシー」
「いいから。
ホラ、声出してみろよ
「……………は?」
「え?…あれ、クレイ」
目星をつけた本棚を曲がると、なんというか予想したままに二人がいた。
が、直後に聞こえたセリフに動きが止まる。
一人にはどうしたんだと大きな赤い目で見られ、いやこっちはいい。
こっちはいいのだけれど、もう一人の邪魔するなと見事としか言い様がないアイスグリーンの目で睨んでくるのと今のアレンのセリフを合わせると。
「……もしかして俺、やばいところで来ちゃった?」
今日は大丈夫そうだと思ったのに?
「はあ?」
「やばい?」
しかしそこには予想していたような反応はなく、アレンとグレンシールが訝しげな表情で見上げてくる。
は、と冷静になって見てみれば、やばいも何も二人は床にそのまま座り込んで談笑でもしていたらしい。
 自分が考えたこととは180度違う、至極健全なその様子に体の力が抜けた。
「…く、クレイ?」
がく、と床に手をついた自分に、アレンが声をかけてくれるのがありがたい。
さっきのグレンシールの邪魔するな目線は、ただ二人の時間が終わることに対するものだったのだろう。
そうだ、そもそもアレンがあんなことを言うのがおかしいじゃないか。
あの二人で言うんだったら絶対グレンシールだ、それは断言できる。
そう思ったら急に安心して、二度目のため息をついた。
「クレイ、どうしたんだ?」
「放っとけアレン。どうせすぐに復活する」
「…グレンシール。わざわざ呼びに来てやった友人に対する態度かよ、それ」
「何かあったのか?」
「教官が呼んでたから知らせにきてやったの。グレンシールだけな」
言えば、呼ばれた方は面倒そうに眉を顰めた。
しかし相手が教官なのなら行かないわけにはいかない、浅いため息をつく。
「ま、今回はあの紋章学のじーさんだから、あと十分くらいなら待たせても平気だと思うけどな」
「うわクレイ、お前って悪い奴」
「日頃の恨みを少しくらい返したって罰あたるかよ。何で毎回俺を当てるんだあのじーさんは!」
笑いながらからかうアレンの向かいあたりの床に座ってくつろぐ。
図書室自体は苦手だが、何でかこの二人とだと心地いい。
「返すのはいいけど、そのやり方が地味だな」
「行動するのはグレンだもんな。しかも十分って中途半端だし」
「いーの。呼びに来てやったんだから少しのことは目を瞑れお前ら!」
「目を瞑れって…そこまで言うほどのことじゃないと思うぞ」
「アレンに一票」
「あーもううるさい!ほら、違う話するぞ違う話」
急にしきりだしたクレイをアレンとグレンシールが更にからかって、クレイの日頃の恨み分の十分はすぐに経ってしまった。
すっと立ったグレンシールに、本棚と本棚との間に座り込んだ体をずらして道をあけてやる。
「んじゃ後でな」
「ん」
短く応じるその背中は、すぐに本棚の向こうへと消えた。
「それにしてもクレイ、ありがとな。大変だったろ」
十分ほど遅れてようやく言われた礼、しかも何でグレンシールじゃなくてアレンが言うのかという疑問は、最早クレイには浮かんでこない。
肩をすくめて「まあな」と頷く。
「お前らがくっついちまったから俺しかいないっつーのは分かるけど、こうも頻繁だとなあ」
「くっ」
ついたって。
見れば顔を赤くしているアレンに、クレイはようやく労がねぎらわれる気がした。
わざとらしく、本日三度目のため息をそれはそれは強く、吐いて。
「な、何だよ」
「この前もさ、探して探してようやく見つけたと思ったら」
「………?」
「お前ら、ちゅーして」
「うわあああクレイやめろ!!!」
「はっはっは、アレンが俺に勝とうなんて一年早い」
「短っ!意外とすぐじゃないかそれ!」
「減らず口をきくな。何だったらもっとあるぞ〜言ってやろうか?」
「や・め・ろ」
「ぐぅっ……実力行使反た………っ!」
そう、二人がくっついて以前よりも更に行動を共にするようになったから。
 だから、自分の出番が急増したのだ。
今回は何もなかったからよかったが、変な雰囲気のところに出て行くのは相当なストレスと勇気の消費を課することになる。
詳しいことは精神衛生上悪いので言いたくないから省くが、何回もそういう変な雰囲気にあてられて、それでアレンの意味深なセリフで変なことを考えてしまったのだろう、多分。
うんそういうことにしよう。
 だけど。
「……一人で頷いて、どうしたんだ?」
「いやこっちのこと」
「?」
首を傾げるアレンに笑って、小さく伸びをした。
「ここって気持ちいいなー」
「ああ、窓が大きいから陽射しがちょうど入ってくるんだよな。…昼寝でもするか?」
「のった」
「じゃ、これ」
分厚い本を渡されて思わずアレンを見ると、背表紙の方を指差している。
なるほど。
無駄に豪華な装飾のなされたその本の表紙から裏表紙にかけては、絨毯のような生地で覆われていた。
しかも背表紙が丸まっているから枕にちょうどいい。
「慣れてるなー」
「グレンが前使ってた」
「理解」
眠るのが好きなあの男が考案者というのはよく理解できる。
あれで学年トップの成績なのだから、寝れば頭がよくなるのだろうかと一時期本気で悩んだ時もあった。
「あー…」
「気持ちいいな……」
足元で、アレンの声がした。
心底心地よさそうなその声に眠気を誘われてうとうととしてきた目で、ふと天井を見やる。
今回は何もなかったからよかったが、次はどうだか分からない。
今度こそ本気で命日を迎えることになるかもしれないが、だけど。
 だけどきっと、どんなに変な雰囲気にあてられても、これからも自分は、この二人を探しに来るのだろう。
 クレイが呼んでくるように言われたあの男と今足元で寝てるこの二人は、他国にも名高い帝国五将軍が一人、テオ・マクドールの中央軍に入るという夢を持っている。
二人がどんなに努力をしているか、身近に居る分他の者達よりは知っているつもりだ。
もし教官の呼び出しをすっとばして、これで万が一にも評価が悪くなるようなことがあったら。
それだけは絶対に阻止してやらないと、と思う。
「あーあ…」
呟くが、足元からの返事はない。
既に寝入ってしまったらしい、本当にのんきだ。
 ひどく過保護なのは承知してる。
それでも、応援せずにはいられないから。
「ほんっと、俺ってお人よし」
苦笑して、ようやく自分にもやってきた眠気に、クレイは身を任せた。
















2007 6 23
クレイがいても大歓迎、とメールにあったことと、最近クレイ熱がすごい方なのでクレイ主体の話になりました(笑)
クレイはすごい友達思いな子だと思います。あの三人のなかで一番じゃないかってくらい。
とんでもなく遅くなりましたが、セリフありがとうございました!

ご精読ありがとうございました。