癒してくれたのはいつもあの人だった。
自然に投げかけられた言葉や、髪をくしゃっとかきあげる手とか、色々だけど。
あの人だけは、いつも僕を癒して、勇気づけてくれた。







『癒し人』








「リーダー」
呼ばれて書類から顔を上げると、自室の扉を開けて入ってくるフリックがいた。
その両手には書類の山。

(―――まただ)
は苦笑した。

解放軍軍主になって、その激務にもいい加減慣れた。
次から次へと運ばれてくる書類の多さにも、その処理をする時間の無さにも。
人は順応する生き物だ。
いつからかも、己をとりまく全てのことに慣れていた。
自分の指示が恐ろしいほどに威力を持つことは、初めての戦争で身に染みた。
最初の頃は1日かけても終わらずに、それこそ果てしなくあるのではないかと思った書類も、今は短時間で処理できるようになった。
人が運んでくる書類の山を見ても、心の中でだが溜め息をつかなくなった。
いつの間にか、意識しないでも軍主になっていた。

「苦笑したくもなるよな」
の広い机の端に自分の持ってきた書類の山を置いたフリックが言った。
視線が合うと少し困ったような表情になって、疲れたか?との顔を覗き込んでくる。
すっかり周囲の状況に慣れてしまった自分に気づいての苦笑だったのだが、フリックはどうやら自分が運んできた書類に対する苦笑だと思ったらしい。
それでも、普通そのまま疲れたか?などと聞いてくる者は少ない。
朝から昼過ぎまで続いた会議の後にこれほど大量の書類を相手にしていて、疲れないわけがないのだ。
マッシュやクレオなどは、あえて疲れを意識させるような言葉はかけずに、必要最低限のねぎらいの言葉をかけてくる。
だが、この男はそのまま思ったことを口に出す。
その彼らしさがなんとなくおもしろくて、は笑いながら首をふった。

全く疲れていないというわけではないが、弱音を吐くには遠く及ばない。
ただでさえフリックはを癒すのが上手いのだから。
癒されたくて、大して疲れてもいないのにすぐにでも弱音を吐きたくなる。

「本当か?お前はすぐに隠すから、こっちからしたら油断できないんだが」
「本当だよ。今日の予定は割合楽だったからね。フリックこそ疲れてるんじゃないのかい?」
「俺よりお前の方が書類の量多いだろうが」
「でも今日は少ないから、いつもより楽なのは本当だよ」
「少ないって…お前な」
呆れたように呟いて肩を落とした。

それから続く、フリックの自分を思いやってくれる言葉を嬉しく思いながら聞いていると、ふと思い出した。



幼い頃にマクドール家に出入りしていた、猫。
今ではすっかり手になじんでいる棍の存在も知らなかった頃の、の遊び相手だった。
が拾ったわけでも、家の誰かが拾ったわけでもないのに、いつの間にか自分の家だと言わんばかりに堂々と居座っていた。
かといってずっとマクドール家にいるというわけではなく、一週間姿が見えないと思ったら翌日のベッドの上にいたとか、猫らしく気まぐれだった。
それでも、ただでさえ猫の毛は抜けやすいのにあの広大な屋敷のいたる所を歩き回るものだから、使用人などはいつも困っていたようだったが。
友達というものがいないにとって、その猫の存在はとても嬉しかった。
軍人という職業柄、息子を構ってやれない父親もの気持ちを分かってくれていたらしく。
猫の好きにさせておけばいいと笑っての頭を撫でてくれた。
それからは、猫がマクドール家にいる間はずっと後ろをついてまわった。
猫は普通構われるのは好きじゃないだろうに、その猫はを邪険にすることはなかった。
来た時と同じようにいつからかその姿を見せなくなり、も家の者もしだいに忘れていった幼い頃の記憶。




それが今蘇って、何故かその猫と目の前にいる男が重なった。
似ているところなど何一つない。
あの猫は真っ黒な毛並みで、金色の目をしていた。
性格も猫だから当たり前だがきまぐれで、心配性でどちらかというと世話焼きなフリックとは似ても似つかない。


なのに、何で。
そうして、はた、と気づいた。


「…おい、?」
いきなり肩を震わせて笑い始めたに、フリックは訝しげに眉を寄せた。
、何笑って…」
「フリックってさ」
フリックの言葉を遮って笑ったまま話し掛けた。
「何だよ」
「猫みたいだよね」
「はあ?」
わけが分からないという至極最もな反応。
それすらもおもしろくて、はとうとう吹きだした。
?」


似ているのだ。
あの猫と、目の前の彼は。
「…休憩所、みたいなものかな?」

何でも器用にこなしていたあの猫と、目の前の不器用な男が似てるなんておかしいけれど。

「…おい、
全くわけが分からない。そんな彼の気持ちがありありと分かる声音が心地いい。


無意識に、癒してくれる。

幼い頃、ずっと寂しかった心を癒してくれたのは、あの猫。
弱音を吐くことは許されない立場にある自分を癒してくれるのは、君。
猫は気まぐれだし、フリックは鈍感だから、間違いなく両者とも無意識なのだろうけれど。



「フリック」
笑いをやっとおさめて見上げれば、ん?と綺麗な顔を少し傾けているフリック。



「…ありがとう」


幼い頃のようにはもう笑えないだろうけれど。

猫と、そして君に。




「…何がだ?」
「何でもないよ。ただ言いたくなっただけ」
「…?」



ありがとうって、言いたいんだ。










2003

ご精読ありがとうございました。