ギン、と高い音が響いた。 一瞬後には風を切るように鋭く、幾度にも渡って繰り出されるその切っ先は、間違いなく自分を狙っていて。 「ちょ…っ、ちょっと待て、おい!」 一応自分もそれなりの使い手だという自信はあるが、相手もそれはさる者で。 休む間もなく突き出されるそれを避けながら声をかけ続けるというのは、至極精神力を消費する。 (何々だよ一体…!) そもそも、だ。 ようやく仕事が一段落がつき、一足早く帰ってしまった恋人と少しでも長く時間を共有したくて久々に故郷の国に帰ってきたというのに、何でこんな目に合わなければならないのだろうか。 国境を越え恋人の住む街でもあるこの首都に一歩入った途端、待ち構えていたのであろう数人の男達に拉致られ、連れてこられたのはトラン共和国の中枢。 大統領や幹部が一日の大半をすごす宮城の、演習場だった。 そして今に至るのだけれども。 「考え事とは余裕だな、フリック?」 「っ!」 ヒュン、と。 細い風の音がすると同時に、頬に僅かな痛みが走った。 その感覚からして小さな傷だとは思うが、相手が本気だということを悟るには十分すぎる。 「だ、だからちょっと待て!何でいきなりこんなことになって…っ」 「身に覚えがないとでも?」 振り下ろされた斬撃を愛剣で受け止めた。 思えば解放軍時代、共同攻撃の関係で一緒に組んだりはしていたが手合わせをしたことはなかった。 生まれた場所のおかげで幼い頃から色々な人間と剣を交えてきた自分でも、彼のような剣さばきは珍しい。 まるで流れるように、思いも寄らないところから斬撃がやってくる。 今現在の共同攻撃のメンバーの一人である赤騎士と、少し似ているかもしれない。 その剣さばきへの驚嘆と、そしてわけの分からないこの現況への困惑がない交ぜになる。 見ればいつの間にか演習場の周りには兵士が集まっており、取り囲むようにして自分達の攻防を見つめていた。 (そうだ、あいつは!?) 剣の応酬をしながらも目をこらし、その中にいると思われる人物を探す。 この目の前の男の相棒である彼だったら止めてくれるのではないかと見回すと、多くの兵士の中で一人見知った顔を見つけた。 (いた…っ!) ようやく僅かな希望を見つけ、しかし次の瞬間にそれは叶わないことを知る。 常ならば人懐こい笑顔を向けてくる彼の表情は、今は冷たいとも思えるような無表情で。 「うおっ…!」 ザク、とマントを貫かれた。 素早く剣を手元にひいた相手はつまらなそうに目を細め、続けて嫌味のように口角をあげる。 「どうした、腕が鈍ったんじゃないか。『青雷のフリック』」 「そ、その呼び名を言うな!!」 「自慢げに話していたのはお前だろう」 涼しげにそう呟いて剣を扱う彼とは反対に、三年前の汚点の一つであるそれを言われてフリックの顔は赤い。 まさか今更、こんなところで言われるとは思ってもみなかった。 大体、この周りに集まった観衆はなんなのか。 自分が斬撃を交わし、あるいは受け止める度に周りの兵士から色々な歓声があがる。 主にその九割五分は、フリックの相手への応援だ。 (…だから何々だよ!) 振り下ろされた剣を愛剣で弾き、フリックは叫んだ。 「どういうことか説明しろ、グレンシール!」 一軍を預かるその声に、追撃がやむ。 歓声をあげていた兵士達は目を見開いて静まり、演習場に短い沈黙が満ちた。 しかし目の前で剣を構えたままの彼は―――グレンシールは、冷めた目でフリックを見つめていて。 解放軍時代からの付き合いである彼は、感情をあまり顔に出さない。 ほとんどが無表情で、それでもその中に表情があるということを、共同攻撃でフリックは知った。 だが今浮かべているそれは、解放軍時代に見ていた無表情とは明らかに違うもの、で。 訝しげに眉を顰めるフリックにグレンシールは冷めた表情のまま、呟いた。 「先日、様がお帰りになられた」 「あ、ああ、あっちでの戦争が一段落したからな」 突然出た恋人の名前に、フリックの気が緩む。 今日だって彼に会うために来たのに、何故こんな目に合わされているのか甚だ疑問だった。 だがとりあえずは目先のことを片付けるのが先で、が戦争に参加せずにトランに帰るのはいつものことだろうと、言外に伝えるフリックに相手も浅く頷く。 「お怪我もなさっていないようで、大統領を始め皆が安心した。それはいい。だが」 「だが?」 鸚鵡返しに訊いたことが気に障ったのか、ス、とグレンシールの目が細められる。 「様は、泣かれていた」 「………な!?」 予想だにしていなかった言葉に、フリックは目を瞠った。 自分の恋人であるは感情を隠すのがうまい。 苦しくても笑うことができるあの少年は、そのためかひどく大人びていて。 だがそんなを子供に戻せるのが自分だと、解放軍時代からの経験で知っていたフリックは衝撃を受けた。 自分以外の前で涙を見せるなと言うわけではない。 もうは軍主ではないのだし、逆に我が侭を言って、表面にだしてくれる方が嬉しい。 そう言うとは嬉しそうに笑って、でも実際に行動するわけではなくて。 滅多に泣かない、特に自分以外の人前では気を遣うが泣いていたということは、つまりにとって余程耐え難いことが起きたということだ。 あの従者を亡くした時のような、それほどまでのことが。 同盟軍の城から帰る時は笑っていたのに。 穏やかに微笑んで、前髪をかきあげられるのを嬉しそうにしていた。 一体何がと、愛剣を握るその手の力を強くする。 「…それで、何で俺をここに連れてきたんだ?」 まさかが泣くことになった原因が分かったのだろうかと、顔をあげる。 と。 ヒュ、と紋章で起きるものとは違う、ついさっき聞いた音が耳元でした。 僅かに左、ほぼ反射的に顔をずらしたが、痛みが走って先ほどとは逆の頬から血が伝うのが分かる。 「……な…」 何をするんだと言いかけて、喉でとまった。 グレンシールの、瞳が。 「…フリック、貴様が原因だろう」 「………は?グ、グレンシール?」 「様にお聞きしたところ、お前の名前が出た」 今度は目の前の彼からではなく、横から聞こえた声に視線だけをずらす。 兵士の中からこちらを見やる彼の相棒のその表情は、先ほどよりも冷たい。 「……アレ、ン」 気のせいか、背後に揺れる炎が見えるような。 それほどまでに怒気迫っているのだろう、アレンの周りの兵士達が恐れるようにニ、三歩後ずさった。 ここまでも殺気がびりびりと伝わってきて、常に前線に出ている自分でもたじろぎそうになってしまうほどにそれは強い。 三年前、敵でなくなって本当によかったと思った当時の自分はやはり正しかった。 「三年前。言ったよな、フリック」 視線を戻す。 改めて剣を構えたグレンシールが、ゆっくりと近づいてくる。 その顔は、俯いているため見えない。 見えないほうが、いい気がした。 「な、何をだ…?」 オデッサを強く握り、一歩後退する。 が、アレンからの殺気で否応なしに、そこまでが限界だった。 前門の虎、後門の狼という諺は有名だが、例え本物がここにいたとしてもここまでの危機感はないだろう。 感じないわけではないだろうが、今自分が挟まれている門は共和国に名高い左右両将軍。 確実に、虎と狼の方がかわいい。 「…何を?」 …地雷を踏んだだろうか、声のトーンが一段下がった。 「いや、その……!」 慌てて何かを言おうとしても、焦っている時に不器用な自分が良いことを言えるわけもない、意味不明な言葉を吐いている内にゆらりと、グレンシールが俯いていたその顔をあげる。 そして。 「……っ!!!」 あまりにも冷たいその瞳に、同盟軍幹部であるフリックの背筋が粟立つ。 同時に後ろの殺気も一段と強くなり、兵士達の悲鳴が耳に届いた。 ―――やばい。 これは本当に、まずい。 今まで幾つもの戦場を生き抜き、養われた勘が告げている。 確実に、殺される。 「様を泣かせたら、殺す。そう言ったはずだ」 ああ、確かに言われた。 本当に忘れていればそれはそれでまずかっただろうが、フリックの頭はばっちりと覚えていた。 最高にまで鍛え上げられた二人の剣が首先に突きつけられたあの瞬間、本当に死を覚悟した時のことを覚えていないはずがない。 だらだらと冷や汗が流れ始める。 「た、確かに…言ってた、よな」 「ああ、だから」 「っ!」 脚を狙ってきたそれを避け、しかし完全には間に合わなかったのか衣服が少し切り裂かれた。 「今、ここで。殺してやる」 それが最後、不規則で読みづらい剣さばきがフリックに襲い掛かった。 「―――っ!!!」 声無き悲鳴をあげつつなんとか応えながらも、例えグレンシールに一本とったとしてもその次にはアレンが待ち構えていることを、フリックは嫌が応にも確信している。 ―――死ぬ。 (……どうせなら、の紋章に喰われたかった……) フリックの意識が途切れる寸前、浮かんだのは可愛い恋人の笑顔だった。 2005 8 15 タイトルは彼の有名なパトラッシュとネロが最期に見たあの絵を描いた作者から。 タイトルが見事なまでに何も思い浮かばなくて「僕はもう疲れたよ…」の意をこめて。(ファンの方すみません) ご精読ありがとうございました。 |