いつか。 もしこの国を出る時が来たとしたら、どこへ行き、何をしようかと考えたあの時の想像とは、別の今。 陽もまだ昇っていない、朝靄の濃い早朝。 黄金の都と謳われるグレッグミンスター。その門へと続く道には、自分達とそれぞれの愛馬以外誰もいなかった。 「…珍しいな」 同じことを思ったらしいグレンシールの声は普段よりも静かで、アレンは倣って小声で応じる。 「本当にな。酔っ払いどころか、犬もいない」 早朝の警備も自分達の仕事で、といってもそれは、アレンやグレンシールが自ら行くようなものではない。部隊長らの報告を受け、何らかの問題があればその都度指示を出すのが常だった。 その報告によれば、毎日のように酔っ払いがいたはずなのに。 でも。 「いない方がいい。…だろ?」 内心を読んだかのような絶妙なタイミングで言われ、特に驚くこともなく隣を見やれば、グレンシールは至極当然な顔をしてこちらを見ていた。 そんな自分達に、笑みが漏れる。 「…うん」 ひどくやわらかい、それ。 こんな声を出せるということを、アレンは生まれて初めて知った。相変わらずこの男は、アレンを引き出すのが本当に上手い。 意識なんてしてないだろうに。 「どうした?」 「いや、お前は俺を引き出すのが上手いなって思っただけ」 小さく笑い出した自分を訝しんだのだろう、何を言ってるか分からないだろうなと思いながらも、問われたことにそのままを返す。 なのに。 「お前もな」 理解したと同時に、笑いが止まる。 今度こそ驚いて相手を見やれば、グレンシールは先ほどと同様の表情で。 今度は、答えなかった。 ただ、小さく頷くことで応えた。 「……じゃあ、そろそろだな」 「ああ」 門へとたどりつく。 振り返ると、見慣れた街が昇りだした陽を受けながら朝靄に包まれていた。 大切な、しかしきっと、二度と帰ってこない場所。 いつまでも見つめていては埒があかないと苦笑し、愛馬に向き直ろうとしてふと、グレンシールの視線を感じて動きを止める。 彼は手綱を持ったまま、じっとこちらを見つめていて。 「…なんだ、どうした?」 これだけ長い付き合いだ、アレンはもう少し話したい気もしたが、グレンシールの性格は熟知している。何も言わずに去っていくのかと思っていたから、愛馬にもまたがらずにそこにいるのが少し意外だった。 聞くとグレンシールは目を伏せて、その間に昇りきった陽が色素の薄い髪を透かす。 ああ、相変わらず綺麗だ。 その金の髪も、アイスグリーンの瞳も。 初めて会った時からずっと変わらない、綺麗な色。 これで見納めなのかと思うと、胸が痛んだ。 グレンシールだけが持っている、この色。 他の金色や緑が一緒にあっても意味がなくて、グレンシールの持つこの二色だけが、アレンにとって特別だった。 「…どうした?」 たったさっきと逆の形で問われて気づき、アレンはグレンシールを見た。 先ほど伏せられた瞳は今は真っ直ぐに、こちらを見つめている。 「あ、ああ…何でも、ない。綺麗な色だなって思っただけだ」 「…は?色?」 「ほんとに何でもないって。それで?」 不可解な表情をしてみせるグレンシールにアレンは軽く笑って、促した。 さすがにそろそろ人が起きてくるだろう。 「………お前は、不機嫌になるかもしれないが」 「うん?」 一体何だろう。こんな風に前置きをするグレンシールは珍しい。 首を傾げ、だけど目はそらさずにじっと相手を見つめれば。 「…アレン」 「もう、遅いけど。俺はお前のこと、心から愛してた」 ―――きっと。 きっと自分は、一生この男を想い続けるだろう。 もう愛情じゃない、だけど大事な人として。 何か、劇的なことがあったわけではなかった。 お互いが大切なのも変わらない、でももう、お互いに恋人と見ることは出来ない。 あのまま一緒にやっていくことは可能だったけれども、それは二人が選ばなかった。 「……っ…」 じわりと視界が潤んだ。 本当に、本当にこれで最後なのだとやっと実感する。 分かっていたのに。 「…お前はずるい奴だよ、グレンシール」 ずっと言ってほしかった言葉、それを最後に言うなんて。 泣き笑いのような顔になっているだろう、だけどどうしても、この感情を抑えることはできなかった。 グレンシール。 ずっとずっと、心から。 「……俺も、愛してたよ。お前のこと」 不機嫌になんてなるわけないだろ。 そう重ねて言えば、相手は一瞬泣きそうな顔をして、それからいつものように笑んで見せたから。 アレンもようやく、心から笑うことができた。 「…じゃあな」 「ああ」 互いに愛馬に跨り、言葉を交わす。 グレンシールは南へ、アレンは北へ。 正反対の方向に馬首をめぐらせ、そしてゆっくりと歩き出す。 段々と遠くなる後ろからの音、しかし想像していたような涙はでてこなかった。 浮かぶのはただ、あの男が好きだということ。 もう愛していない、だけど本当に、心から大事な。 「……グレンシール」 ―――以前、いつかこの国を出る時がきたとしたら。 どこへ行き、何をするか考えて、話に花を咲かせて、笑いあって。 笑いあっていたのに。 今は。 どこへ行き、何をするかも考えてある。 あの時思った、行きたいところ、やりたいこと。全て小さなことだから、その全部を叶えることは容易いだろう。 でも、ただ一つ。 あの時は、お互いと一緒に行くことが前提だった。 今は、一人でそれをなそうとしている。 あの時描いた夢は全て今も同じだけれど、ただ一つ。 一番大切なその一つを、なくしてしまった。 いつも隣にあった緑は、もう二度と。 2009 8 24 この二人は一生お互いを好きだと思います。例えその道を別つても。 ご精読ありがとうございました。 |