…様?」




自分の命をかけても守りたい大事な人。
おそらく、これから続く長い人生の中でも、彼だけだ。
自分達の仕えるべき人物は、彼だけ。













「あれ、二人とも。おはよう」
穏やかな笑顔で当然のように挨拶をする彼に、何かを返さなければと思いながら口が動かない。


何故、まだここに。

絶対にいなくなってしまうと思っていたのに。



様…?」
「うん。…二人とも、どうかした?」
「え…いや、あの…」
口篭もる二人に、は首をかしげる。
その表情は先程と同じ穏やかで、ようやくグレンシールとアレンは思考が戻ってきた。
「いえ、少し驚いたもので…失礼致しました」
アレンより数瞬早く驚きを克服したグレンシールが、口を開いた。
「驚くって…僕が何かした?」
は二人を交互に見上げた。


グレンシールとアレンの身長を比べるとグレンシールの方が高いが、のそれはアレンの肩口近くまでしかない。
成長期の途中でその流れを止められたのだから、それを思うと二人はとても複雑な気分になる。

目の前の彼がいたからこそ、あの戦争は勝てたのだ。
赤月帝国と解放軍の戦力の差は、最初は歴然だったのである。
少ない兵を率いて戦ったのは彼であり、解放軍旗のもとに兵を集めたのも彼だ。



そして、自分達が解放軍へ下ったのも。
テオの遺言に従っただけではない。
目の前の彼だからこそ、自分達は膝を折ったのだ。








「いえ、その…様はすぐに行ってしまわれると思っていたので…」
北で起こっていた戦争が終結したのだ。
もうここから―――グレッグミンスターからいなくなってしまったのだと思っていた。
悪いことだとは分かっていたが、北の戦争が長引けばいいと思ってしまったこともある。


なのに、何故。

アレンが遠慮がちに言うと、は苦笑する。
「本当はそのつもりだったんだけれどね。でも…やっぱり居心地がよくて」
情けないけど。
そう言って照れくさそうに笑うを、二人はまぶしいものでも見るかのように見つめた。





あの戦争中、彼がこうやって笑うことはなくて。





いつも笑んではいたけれど、それは穏やかな、本当に穏やかな笑みだった。
仲間達や兵士達を安心させるためだけに、彼はいつも笑んでいたから。
そして、彼のその穏やかな笑みに当時の仲間や兵士達がどれほど安心していたか。

グレンシールとアレンは身をもって知っている。





ずっと忠誠を誓っていた帝国に剣を向けるのは、相当な覚悟が必要だった。
だがそれを解放軍の面々に見せるのは嫌だったし、何よりもテオの部下だった過去の自分達が、それを許すはずもなかった。
父親と戦うことになっても自分の決めた道を進もうとする少年は、二人が知る頃とは比べ物にならないほどに、強くなっていた。
そして彼に忠誠を誓ったが、その頃はまだ、解放軍に全てさらけ出すことはできる時期ではなかった。


解放軍の人々が信じられないというのではなく、ただ純粋に、帝国は二人の全てであったから。





その帝国に剣を向ける覚悟を抱かせてくれたのは、他ならない彼の穏やかな笑みだった。
そんな穏やかな笑みは、が帝国にいた頃―――テオがいて、がいて、自分達を兄のように慕ってくれていた頃は見たことがなかった。
確かにいつも穏やかに笑っていたが、そんな全てを包み込むような笑みではなかったのだ。



の笑みを見た時、二人は愕然とした。

未だ大人に庇護されるべき年齢の彼が、この国にいるどんな大人よりも大人びた笑みを浮かべていることに。
自分らしさを片時も出すことなく軍主であり続けるは、自分達よりもずっと年下で、本来ならこんな戦争に巻き込まれるはずもなかったのに。


この方に笑顔を。

そう思って戦ってきた。

ただの少年でいられたあの頃のように、が笑えるように。




結局は戦争が終結したその日の夜に旅立ってしまったが、グレンシールとアレンはほっとした。
彼がいなくなってしまったのは悲しかったが、それ以上に、もう彼にあんな穏やかに笑ってほしくなかったのだ。
この国にいれば、必ず時代は彼を必要としてしまうから。

彼はまたあの笑みを見せなければいけなくなる。

それだけは嫌だった。



だから、しばらくたって再建の見直しがたってきた頃に、国の総力をあげて彼を探そうとする重役達を止めたのはアレンとグレンシールだった。
彼がいなくても国が立ち行くようになるまで、そして彼が自分から戻ってきてくれるまでは。
そして三年間、自分達は働いた。

彼が戻ってきた時に、ただ彼自身の為だけに笑ってもらえるように。










そして今、は笑っている。

年相応の、昔の彼そのままのように。



「俺は嬉しいです」
グレンシールはゆったりと笑って、を見つめた。

様がここにいて下さって、嬉しいです」
「…グレンシール…」

グレンシールの言葉は、英雄へとむけられたものではなかった。
英雄であるではなく、ただのがいてくれることが嬉しいと、グレンシールは言ったのだ。



幼い頃からあの雨の日の前日まで、ずっとグレンシールはにだけはよく笑って優しい声で話し掛けてくれていた。
アレンでさえも滅多に見ることの出来ない柔らかい笑みをには幾度となく向けるものだから、「様に向けられるグレンシールの笑顔を、少しだけ俺にくれませんか?」と真剣にアレンがまだ幼いに言ったこともあったのだ。



は久々に感じるグレンシールの優しい声音に懐かしそうに目を細めて笑う。
「…久しぶりだ。グレンシールの、それ」


何も知らなかった頃の自分に向けられていたのと同じもの。
それは今のには、嬉しくて仕方ないもので。




満たされたように笑うの様子に、アレンは負けじとグレンシールの前に出る。
「お、俺も嬉しいですよ、様!」
「何対抗しようとしているんだ、お前は」
「いてっ!な、殴ることないだろ!」
わめきたてるアレンを素知らぬふりでかわすグレンシール。
そんなところも、昔と同じだった。

『私』ではなく『俺』と言う二人は、間違いなく自身に話し掛けている。



「アレンも、だよね」
「え?」



振り返ったのは、軍主である自分に忠誠を誓っていた火炎将ではなく、兄と慕っていたアレン。

「アレンも、昔のアレンそのままだ」


嬉しそうに呟くを、アレンが全く分からないという表情で見る。
それは本当に二十七歳なのかと疑いたくなるほど幼くて。

思わず笑みがこぼれる。



「あ、何で笑うんですか?昔の俺って…?」
「いつまでもガキっぽいということだ」
「何だと!?」


「変わらないなぁ、二人とも」

それが、ものすごく嬉しい。





様までそんなこと仰らないで下さいよ!」
「こいつと一緒にしないで下さい」
「うん。ありがとう、アレンも、グレンシールも」




何でもないように言われたその言葉に。

二人は一瞬にして騒ぐのをやめる。
の言葉にこめられた思いを、正確に感じたから。


英雄として民に謳われ、最早普通の少年であった頃の彼を知る者は少ない。
そんなに弟のように接してくれるのは、それより更に。
そしてあの戦争中、という少年のためだけに戦ってくれたことに対して。


「ありがとう、二人とも」




その笑顔が、幼い頃の彼に重なった。
何も知らなかった頃の、幸せだったあの頃の笑顔。


その笑顔を見るために、アレンとグレンシールは戦ったから。





柔らかく笑んで、グレンシールは一礼する。
「俺達は、貴方が笑って下さることが嬉しいのです」
先ほどとはうってかわり、兄のような笑みを浮かべてアレンも一礼した。
「例え貴方がこの国を去ってしまわれても、笑って下さっていれば俺達は嬉しいです。様、どうか」


どうか貴方が、もうあんな笑顔を浮かべないですむように。




「…うん。ありがとう…アレン、グレンシール」
目の潤んだが、とてもほほえましかった。














あの頃の私達は、貴方のためだけに戦った。

貴方にあんな風には笑って欲しくなかった。

今のように笑って欲しかった。

この国で、今のように貴方に笑って欲しくて。

そのために俺達は戦ったのだから。














2003 9

グレアレは坊ちゃんにはベタ甘だといい。
ご精読ありがとうございました。