欲目、なのかもしれない。
でもこいつが綺麗なのは、本当だから。
肌寒くてふと気が付くと、煙草の香りが僅かにした。
それにつられて窓際を見れば、先ほど閉めたはずの窓が開いている。
(閉めたよな…ああ、グレンか)
寝ぼけ眼で、アレンは今ここにいない相棒が原因だということに気がついた。
キングサイズのベッド(ついでにこれは広々としたベッドで眠りたいというアレンの言に負けて、グレンシールが買ったものだ)の上、つまりアレンの隣に、彼の姿はない。
多分キッチンにでも行っているんだろう。
窓を開けていったのは、室内から煙草の香りを出すためだ。
(全く…気がつくんだかつかないんだか)
苦笑して、再び毛布を頭までかぶった。
冬の、特に夜の空気は、裸でいるには冷たすぎる。
何故裸なのかというと…まあ、自分とグレンシールは恋人同士なわけで。
当然そういうことになり―――詳しいことは省くが、つまり服を着ているわけがなかった。
グレンシールがいないことに気づかなかったのは、アレンが情事の時に意識を飛ばしてしまったからだ。
(あー、ぬくい…)
部屋は冬の外気でずいぶん寒くなってしまっているが、毛布の中はアレンの体温で暖まっている。
それを心地よく感じながら、ふと感じる煙草の香りに二度目の苦笑をした。
(毛布にも移ってるんじゃ、窓開けても意味ないだろ)
グレンシールが窓を開けていったのは、自分とは違って煙草を吸わないアレンのためだ。
何のかんのと言って、彼は自分のことを考えてくれている。
それは嬉しいのだけれど、この冬の寒い夜に開け放したままキッチンへ行ってしまうのはどうなのか。
自分達はいわゆるそういう関係で、そしてそういうことがあったわけだから当然アレンは裸で、いくら毛布を被っているからといっても、先程気が付いた時、自分は肩が毛布から出ていた。
あのまま眠っていたら、明日は風邪をひいていたかもしれない。
しかも、僅かだが毛布にも香りは移ってしまっているのに。
まあここはグレンシールの家だから、移っていても不思議ではないし、吸っている本人は僅かな香りになど気づかないのだろうけれど。
(変なとこで間抜けだよなー)
自分の思考に笑いがこぼれた。
学生の頃から何でもそつなくこなしてしまうのに、本当に変なところで抜けている。
もちろんそれを知っているのはアレンだけだ。
だからこそ、そんなところもすごく愛しく思える。
完璧な人間なんてつまらないのかもしれないが、グレンだったらつまらなくないかも…などと、まるでグレンシールに憧れている女の子みたいなことを思ってしまうくらいに。
カタン、と小さな音がした。
それから少しずつ近づいてくる気配。
敵の陣地ではなく我が家なので、足音も微かだが聞こえる。
(あ、ドアの前来た)
毛布を頭まで被ったまま相手を待つのは、小さい頃やったかくれんぼみたいな気持ちにさせた。
実際にはかくれんぼも何もないのに、何故か少しわくわくする。
ドアは僅かに開けられていたから、両手がふさがっていても大丈夫だろう。
パタン、とドアが閉められた音がしたような気がした。
そのまま気配はベッドの方へやってきて、側で止まる。
「アレン、起きてるだろ」
(あ、やっぱり)
頭上からかけられた声に、ひょこ、と毛布から顔を出す。
暖気に包まれていたので寒い。
見上げれば、待ち望んだ相手が両手に湯気のカップを持っていた。
ついでに薄手のシャツとズボンだが、服はちゃんと着ている。
「グレン、寒い」
「今閉めてやるから、これ持ってろ」
「ん」
甘やかされてるなぁと思いつつ、二枚あるうちの薄い方の毛布にくるまって身を起こし、カップを受け取る。
見れば一つはホットミルクで、一つはコーヒーだった。
(あ、いい匂い)
僅かに蜂蜜の香りがするのは、さすが長年の付き合いだ。
グレンシールの方を見やれば、既に窓を閉め終わりカーテンを引こうとしている。
「開けたままでいいよ」
アレンの声にグレンシールは顔だけ振り返った。
「満月なんだろ?部屋も明るいし、閉めなくていいよ」
何故か嬉しそうなアレンに、何だ?という顔をしながらもグレンシールはそのままアレンの元に戻った。
隣に座る彼にコーヒーのカップを渡して、アレンはようやくホットミルクを口に含む。
少し熱いが、この寒い部屋ではちょうどいい。
蜂蜜の微かな甘さに思わず笑う。
(おいしいけど、でも)
「あー、俺もコーヒーにすればよかったかも」
「後で眠れないって騒ぐのはお前だろ」
「う…っ」
数年前の冬、場所や立場は違うが状況的にはまるまる同じだった時。
カップの中身は二つともコーヒーだった。
特に気にすることもなく二人とも飲み終わり、さあ寝ようとベッドにもぐりこんだまではよかった。
熱いコーヒーのおかげで身体は暖まっているし、ほどよい疲れも感じていた。
このまま気持ちよく眠れると、そう思っていたのに。
それは半分当たり、半分外れた。
恋人兼相棒のグレンシールは見事当たりを引き、つまりぐっすり安眠し。
一方アレンは外れを引いてしまい、一時間たっても眠気はやってこないという羽目になった。
グレンシールほどとは言えないが、寝つきの良い自分が眠れない理由はただ一つ、コーヒーの中に入っているカフェインのせいだとしか思えない。
なのに何故、同じくコーヒーを飲んだグレンシールがすやすやと眠っているのかといえば、多分ただの体質の違いなのだと思う。
どうやら自分はカフェインがものすごく効きやすい体だというのは分かった。
今まで朝や食後に飲むことはあったが夜中に飲んだことは無かったので、盲点だったらしい。
あんま分かりたくもなかったことだけど…と思いつつ、再度ちらりと横を見やれば、これ以上なく気持ちよさそうに眠っている恋人兼相棒兼親友という、一人で三役をこなすグレンシールの姿。
アレンが一人悶々とし始めて、既に二時間が経過していた。
このままでは一人朝まで過ごすことになる。
元々人一倍騒がしい自分にとって、それはかなり空しい。
しかもこの二時間、この男は思うがままに睡眠を貪っているのかと思うと。
決断は一つだった。
「あ、あれは悪かったって。ちゃんと謝っただろ?それに一人でずっと起きてるのも暇だし空しいしさ」
愛想笑いを浮かべるアレンを切り捨てるように、グレンシールは一瞥した。
「気持ちよく眠っていたのを叩き起こされて、結局お前の馬鹿話に朝まで付き合わされて。その上翌日、テオ様に大笑いされたのはお前のせいだ」
徹夜しようが何だろうが、朝日と共に迎えた一日を休むわけには行かず。
ベッドに倒れこもうとする体をどうにか叱咤して、遅刻することもなく上司の執務室に行ったまではよかった。
睡眠時間が著しく不足しているわりには上出来だと思う。
しかし、いざ上司がやってきて挨拶をしようとした時。
二人が憧れてやまない上司、百戦百勝テオ・マクドールは爆笑した。
自分の片腕である二人が揃いも揃って目の下に深い隈をつくってくれば、当然なのかもしれない。
そして笑いを含んだ声で「今日は早く上がるといい」と言われた時、グレンシールは二度とアレンに夜中コーヒーを飲ませないことを誓ったのだ。
それ以来、アレンの夜中の飲み物はもっぱらホットミルクである(「男がホットミルクって変じゃないか…?せめて紅茶に」と言ったアレンの言は、グレンシールによって即座に却下された.。
「で、それを分かっていながら何でまたそんなことを言うんだ?」
うっ…と言葉に詰まって目をそらすアレンにようやく意地悪く笑ってやって、グレンシールは続きを促した。
アレンはやっと矛先がずれたことにホッと安堵し、ふと窓を見やる。
つられてグレンシールもそちらに視線を動かすと、空に浮かぶ満月が見えた。
窓から入る月明かりが、二人のいるベッドにまで及んでいる。
「今日は満月だろ。だから」
一晩中話すのもいいかと思って。
突拍子な発言に、グレンシールは驚きはしなかった。
その代わりにため息をついて、カップを傾けて残っていたコーヒーを一気に飲んでしまう。
ベッドの下の床にコト、と小さな音を伴いながらカップを置いてそのまま自分のスペースに横たわり、アレンがくるまっていない方の毛布を肩までひきよせて完全に寝る体勢をつくってしまった。
あっという間のその作業に、今度は一人ベッドの上で起き上がっているアレンがため息をついた。
「おいグレン。お前人を無視するのって失礼だと思わないのか?」
「一人でやれ。俺は寝る」
アレンに背中を向けたグレンシールはすでに、目をつむっているのだろう。
その気になればこの男は今すぐに眠れるはずだ。
話し相手を失って堪るかとアレンが片手でシャツを引っ張っても、無視なのか今のこの数秒の間に眠ってしまったのか、何の反応もない。
「グレンー、まだ寝るなよ」
やはり反応はなし。
明日はどうせ二人そろって休みなのだから、もう少し起きていてもいいだろうに。
いっそ自分のカップに残っているホットミルクをかけてやろうかと冗談半分で思った。
どうせもう中身は冷えているのだし、火傷もしないはずである。
そうすればこの男は風呂に入らなければならなくなるし、そのうち目も覚めるだろうから一石二鳥か?と考えながら、悪あがきとは分かっているが再び話し掛けてみた。
「なー、グレン。あと少しくらい起きてても大丈夫だろ?明日休みなんだしさ」
「…少しならな」
返ってくるとは思わなかった返事に、え、と未だ背中を向けている恋人の顔を上から覗き込む。
すっかり眠ってしまったものと思っていたが、目はずっと開いていたらしい。
「…寝たふりかよ」
「どうせお前も、本気で一晩中話すつもりなんてないだろ」
分かりきっているという口調でアレンを見上げるグレンシールは、少し楽しんでいるようだった。
「分かってんなら少しくらい付き合ってくれたっていいだろ」
拗ねたように僅かに目を細めて、アレンは先程のグレンシールと同じようにカップを床に置いた。
そして自分も横になり、枕に頭を沈める。
「でも何で満月なんだ?」
ん?と隣を見ると、グレンシールは横目で月を見ていた。
どうやら、何で満月だからといって一晩中話そうなんて言う気になったのかを聞いているらしい。
アレンと一緒にいる時はつい言葉を省略するグレンシールの問いをすぐに理解して、穏やかにアレンは笑う。
「ああ、綺麗だから」
「それだけか?」
「それだけ。お月見の心境と一緒だよ」
笑うアレンを不思議そうに見て、グレンシールは再度満月を見上げた。
一欠けもない美しい月が変わらずにある。
別に毎月見るのと何ら変わりはないのに、何故アレンがこれを見てあんな気になったのか、はっきり言って理解不能だ。
まあどうせ、いつもの気まぐれなんだろうが。
そう決着をつけて、グレンシールは目を閉じた。
話したのは本当に少しだが、今度は何も言ってこないところをみると満足したらしい。
明日は昼過ぎまで寝てよう、と思ったのを最後に、グレンシールの意識は途切れた。
「…グレン、寝た?」
会話が途切れてからしばらくして、アレンは小さく声をかけた。
返事はなく、静かな寝息が聞こえる。
どうやら今度は本当に眠ったらしい。
(本当に眠るの早いよな)
苦笑しながら静かに身を起こす。
顔を覗き込むと、確かに目が閉じられていた。
「よしよし」
小声で呟いて、ふと満月を見上げる。
先程と大して変わらない位置にあるそれに満足げに笑って、視線を落とした。
元々色素の薄い髪は、月明かりに照らされて白く透けていた。
アイスグリーンの瞳が見られないのは残念だが、それは先程堪能したので良しとする。
睫毛や鼻の影が顔に落ちており、その影と月明かりの白さが互いを際ださせていて。
(やっぱ綺麗だよな)
月明かりに照らされている寝顔を見て、アレンは一人笑った。
解放軍時代、美青年と一括りで形容されてはいたが、自分とグレンシールは全然種類が違うと思う。
グレンシールは綺麗だ。
女性のような綺麗さではなく、うまく言葉にはできないけれど。
自分がどうだとかはよくわからないが、綺麗という表現をつかうならグレンシールだ。
(グレン、分かってないだろうなぁ)
声に出さないようにクスリと笑う。
自分の問いに答えたアレンの答え。
グレンシールは「月が綺麗だから」と受け取ったようだが、本当は違うのだ。
(綺麗なのはお前だって)
月明かりに照らされたグレンシールが、綺麗だったから。
だから、一晩中話すのもいいかと思ったのだ。
コーヒーにすればよかったかもと言ったのも、そうすればちゃんと起きていられるから。
といっても、グレンシールの言う通り本気で言ったわけではなかったのだけれど。
(ずっと話してたら、お前のこと見れないだろ)
さすがに面と向かってじーっと見るのは憚られるし、グレンシールも何だ?という風に眉を顰めるだろう。
せっかく綺麗なのに、それは避けたかった。
いつも通りふるまったから、グレンシールは何も気づかなかったはずだ。
だから、もう少しだけ起きていて欲しかった。
寝顔はグレンシールが眠ってからいくらでも見られるのだし。
(カーテンを開けたままっていうのも、そんなことしたら月明かりが遮られちゃうからなんだぞ)
「どうせ気まぐれだとでも思ってるんだろ?」
クスクス笑ってから、ふいに浮かんだあくびをかみ殺した。
ようやく自分にも眠気がやってきたらしい。
「明日は休みだから、ゆっくり寝てよ…」
今度こそ本当に眠る為に、アレンはベッドに横になった。
目を閉じる前に月を見上げて、そして隣を見て。
(本当、綺麗だよな)
穏やかに笑って、目を閉じた。
さすればそれは、月のように。
2003 11
18
グレンは綺麗なんですよ!
ご精読ありがとうございました。
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