この日、アレンはいつになく上機嫌で。
周りはその様子に、ただ首を傾げるばかりだった。









「ではテオ様、お先に失礼致します」
赤月帝国にその人ありといわれたテオ・マクドールの執務室で、アレンはにっこりと音がしそうなほど笑いながら上司に頭を下げた。
相棒であるグレンシールは、部下のミスの事後処理に追われていて今この場にいない。
 帰ってくるのはあと三十分ほど後だろうか。
いつもならば相棒がその場にいなければ少しくらい待ってから帰ろうとするのに、今日のアレンはそんな素振りは全然見せない。
彼らを自分の軍に引き抜いて間もない頃―――といっても一年前くらいだが、初めてそれを知った時は「まるで恋人同士のようだな」と思ったことも、まだ覚えている。
そこに違和感を感じて、そして今日一日中上機嫌だったことにも疑問を感じて、二人の憧れてやまない上司であるテオはアレンを不意に引き止めた。
「アレン、グレンシールと何かあったのか?」
「は?」
なにか、と言ったのはそれ以外に形容のしようがなかったからだ。
喧嘩をしているのだったらアレンが上機嫌なのはおかしいし、グレンシールも普段通りだった。
だからそう言ったのだが、当のアレンは一体何をと、テオの問いがいかに予想外だったかをありありと描いた表情でこちらを見返してきた。
自分の軍に引き抜いて、僅か一年でテオの両腕となるまで成長した二人のうちの一人であるアレンは、元々大きな目を更に見開いてこちらを凝視している。
その表情に、ならば一体何があったのだ?とテオは内心で首を傾げた。
「いえ…別に何もありませんが…?」
子供の頃から憧れている上司に、あのままではさすがに失礼だと感じたアレンが一応否定の言葉を呟いた。それでもその言葉の中に「テオ様は一体何を?」という感情が覗いているのは責められない。
その様子にさすがに突発すぎたかと思い直し、息を一つはいてテオは再び話し出す。
「いや、いつもと様子が違うようだったからなんだが…」
この言葉には、二つの意味がこめられている。
一つはアレンの異様なまでの上機嫌と、そして先程言った相棒を待たないで帰ろうとするアレンの行動のことで二つ。
詳しく言わないのは、後者をわざわざ口に出すのがどこか恥ずかしいからだ。
二人の仲が親友で相棒という深いものだと知っているテオでも、出来る限り一緒に宿舎に帰ろうとすることを本人の目の前で言うのは憚られる。
 普段はあまり小さなことは気にしないのに、ことこの二人に関しては気をつかってしまうのは息子のように思っているからかもしれない。
言葉を濁したテオに、しかしアレンはその言葉に一応合点がいったようで。
「あ、わざわざ気にして下さったのですか!?」
すみませんと慌てて頭を下げるアレンはいつもの彼で、ここだけなら何とも思わないのだが。
「いや、それで…何かあったのか?」
頭を下げたアレンに顔を上げるように言って、再びそう問い掛ける。
 すると未だに少し慌てながら顔を上げたアレンは―――笑った。
「何かあったとか…本当に、そういうことではないのです」
 何故かとてつもなく幸せそうに。
気のせいか、アレンの後ろに花まで見えるような気がする。
「……………」
 おかしい。
ここは自分の執務室で、花の咲き誇る花畑などでは決して無い。
なのに何故か、アレンの笑顔の後ろに綺麗に咲き誇った花が見える。
(…私は疲れているのだろうか…)
「テオ様?いかがなさいましたか?」
思わず目と目の間にある鼻の骨をつまんでしまったテオに、アレンが心配げに声をかけた。
 今はもう、アレンの後ろに花は見えない。
そのことに少し安心して、テオは軽く笑って見せた。
「何でもない。気のせいか、花が見えたような気がしてな」
「花、ですか…?」
アレンは首を傾げ、ふと部屋の隅に置かれている花瓶を見た。
そこには、武官の執務室によく似合う花が生けられている。
数秒それを見つめ、当然だがそれでも分からずに僅かに首を傾げるアレンに苦笑した。
「テオ様?」
「いやすまない、気にしないでくれ」
なんでもないのだと言外ににじませれば、本人はまた笑って。
「…あ、それでですね」
「うん?」
「あいつと何かあったというわけではなくて、今からあるというか…その」
几帳面にも、先程のテオの問いにちゃんと答えようとしているらしい。真面目な性格のアレンらしいなと思って、テオは僅かに口をゆるませた。
彼の相棒ならば、こういう時は面倒だと思って再び相手から聞かれない限りは答えないだろう。
一年前とは違い、二人の違いが分かるようになったことに嬉しさを感じる。
 が、何故。
(何故照れくさそうなのだ…?)
指で頬をかきながら、照れくさそうにするアレンに疑問が募る。そもそも、あのグレンシールとそんな風に話さなければならないようなことができるのだろうか。
顔には出さずに考え込むテオを他所に、アレンは幸せそうな表情のままで―――言った。
「今日はあいつの誕生日で…それで、祝ってやろうかと思ってまして」
 そう言って笑うアレンが、ものすごく幸せそうで。
思わず、テオは目を見開いた。
そんな上司に気づかず、アレンはそのまま続ける。
「あいつ、今日で十八になったんですよ。本人はそういうの気にする方ではないですし、せっかくだから」
だから、先に帰ってケーキでも用意しておいてやろうかと思ったんです。
「………そ、そうか」
そう言うのが、テオは精一杯だった。
はい!と元気よく、だがなおも幸せそうに笑うアレンの後ろには、再び花が見える。
今度は気のせいではない。
 確かに、アレンの後ろに花が存在している。
(…人生で初、だな…)
長く生きてきた中で、初めて花を―――華を背負う男を見た。
そこに違和感がないのがまたすごい。
そして、二人の関係にもようやく気づいた。
本当に仲がいいのだとばかり思っていた自分の両腕を務める二人が、そうだったとは。
(…だが)
「ですから、申し訳ありませんが今日はお先に失礼させていただこうと思いまして…」
本当に申し訳なさそうに言うアレンに、今度は自然に笑みが広がる。
「そうだな。そういうことなら、早く帰ってグレンシールをびっくりさせてやるといい」
太い笑みを見せてアレンの肩をたたいてやる。と、アレンは大きく頷いて頭を下げた。
「では、失礼致します!」
「ああ。引き止めて悪かった」
いえ、そんなことは、と断ってから、アレンは急いで執務室を出て行った。
自分が引き止めたせいで、ゆっくりしていたらグレンシールが帰ってきてしまうかもしれないからだ。
(悪いことをしたな…)
苦笑しながら、それでも良かった、と思う。
 息子のように思っている二人は、いい相手に出会えたのだ。
「親友で相棒、そして恋人か……なんとも深い関係だ」
軍に入るまで、そして入ってから二人がどんなに努力をしたか、少しは知っているつもりだ。
そして軍人という道を進む以上、仲間がいついなくなるかは分からない。
その中で、これ以上ない相手を見つけたというのならば。
(過酷な戦いの中でも、お互い大きな支えになるだろう)






コンコンと静かなノックが、しばらくしてテオしかいない執務室に響いた。静かなというのは、アレンのノックの音と比べた時に思ったことだ。
「失礼致します」
カチャ、と扉を開けて入って来た男は、先程アレンが嬉しそうに誕生日を祝ってやると言っていた男で。
アレンに祝われた時、この部下はどういう表情をするのかと思って笑みが浮かぶ。
「テオ様、いかがされ…」
「アレンは先に帰ったぞ」
自分の表情に気づいてたずねようとしたグレンシールの言葉を遮って、相棒の名前を出す。一瞬訝しげに眉を顰め、すぐ無表情になってグレンシールはテオを見た。
「そのようですが…一体?」
何故わざわざそんなことを言うのかと、微かに首を傾げる。
そんな部下をからかうように見やって、テオは先程アレンから手に入れた情報を口に出した。
「今日は誕生日なのだろう?グレンシール」
「…っ」
『誕生日』という単語を聞いた瞬間、グレンシールは目を見開いた。
それから繕うように眉が顰められるが、それは間違いなく彼が照れている表情で。
滅多に見れない子供のような表情をする優秀な部下に,、テオは笑った。
「…アレンから聞かれたのですか」
断定口調で問うグレンシールは、僅かに頬を赤くしている。
アレンに誕生日を祝われることをテオに知られたからか、いつになく慌てているようだ。
「今日一日、アレンはずっと上機嫌だったからな。どうしたのかと訊いてみたら、そう返ってきた」
「………」
頬を赤くして苦虫をかみつぶしたような顔でたたずむグレンシールに、くつくつと笑いがこみあげる。
 いつも冷静すぎるほどに表情をくずさない男が、今は子供のような顔をしていて。
新たな一面を知ったことに嬉しさと、それ故の笑いがどうしても出てくる。
「…テオ様…」
「だがな、グレンシール」
がらりと変わった声音に、グレンシールは自然と背筋を正した。
 ただそれは、戦場でのような厳しいものにではなくひどく―――暖かいものへと、変わったから。
たった今まで親しみやすい上司のものだったのが、今はまるで我が子を見るようなその表情に、自然とグレンシールの表情から力が抜ける。
そんな部下の変化を漆黒の瞳で見つめながら、テオはゆっくりと話し出す。
「私は、お前達が互いに出会えて良かったと思っている。良い競い相手であり、安らげる相手に出会えたのだからな」
「…はい」
彼の性格からして絶対に照れくさいのだろうが、決して否定しようとしないことに笑みがもれた。
「おめでとう、グレンシール。アレンが一番じゃないのは残念だろうが、私からも言わせてくれ」
「……テオ様、一言余計です…」
「ははははっ!」
再び気まずいような顔をしたグレンシールに、今度は大きな笑いが起きた。
 この決して無表情なだけじゃない部下と、今はここにいない明るいだけじゃない部下が、大切だと思う。
この身が老いたその時、帝国をしょって立つのはこの若者達だ。
それを見るのが、楽しみで仕方ない。
「さあ、そろそろ帰った方がいいだろう。アレンが待っているはずだ」
「っテオ様、もうお止め下さい…っ!」
笑いをおさめて、それでもからかってやれば引きかけていた頬の赤が再び白い顔に走る。これ以上からかわれてはかなわないと思ったのか、グレンシールはささっと帰る支度を終えて扉の前に立った。
「では、失礼致します」
「うむ」
最後に頭を下げ、扉の向こうに消えたグレンシールの頬は未だ赤くて。
(アレンのこととなると、かわいくなるものだ)
我ながらしつこいな、と思いつつ笑って、不意に。
(…いい部下を持った)
また明日からは、テオの両腕として二人は忙しい日々を送る。
そしていくつもの戦場に出て行くのだ。
 だから、今日という日を大切に。
「ゆっくり二人で過ごすことだ。……アレン、グレンシール」
暖かい笑みで、テオは大事な部下の名前を呼んだ。




























2004 3 12
グレアレ同志様、乙輝潤様のお誕生日祝いとして捧げさせて頂いたものです。

ご精読ありがとうございました。