唇を触れ合わせる。 薄暗い蔵や幸村の私室など、そうした人目につかないところで二人は度々そうしてきた。最初こそ一々慌て、その度に佐助が優しく笑って宥めるという形だったがいい加減慣れもする。 顔が赤くなるのは変わらないまま、それでも佐助の肩に額を預けて抱きしめ返すことができるくらいには、幸村も成長した。気恥ずかしいと思いはしても嫌なわけでは決してなく、逆に佐助の体温を離したくないとまで思う。背にまわした腕の力を少し強くすれば心得たかのようにより強く抱きしめられて、心地よさにうっとりと目を閉じた。 そしてもっとしたい、といつからか抱くようになったそれ。 破廉恥だとは思うが佐助のことを、熱を知りたいと思うのはとめられない。それを声にのせて佐助の名前を呼べば、うん、といつものように優しい、だけど格段に柔らかい応えが返って。 主従ではなく恋仲なのだと、そう佐助が言っているようで嬉しくなる。 「旦那?」 つい弛んでしまった顔は見えないはずなのにほんの僅かな気配で察したのだろうか、どうしたのかと言葉少なに訊かれて、幸村は照れの混ざった微笑をむける。 「いや、嬉しくなってしまってな」 「…?何が?」 「佐助の声が、いつもより柔らかい。…その、本当に恋仲なのだと思ってな」 佐助の気持ちを知るまで、ほんの少し前までは。 幸村は完全に片思いだと思っていたし、また佐助がそのような素振りを見せてくれるわけもない。それでも、少なくとも幸村の目から見て女の影がないうちは耐えることができたが、かすがの存在を知ってからはいてもたってもいられなかった。人の造形にはあまり興味のない幸村から見てもかすがは美しく、佐助が彼女にちょっかいを出すのを目にする度に色々な感情がこみあげ、ひどく戸惑ったのは今でも覚えている。 自分をからかうためだとは分かってはいても佐助の口から女の話が出るのさえ辛くて、いっそ言ってしまえと思ったことは何度もあった。ただ、告げることによって佐助を失うことになってしまったらという考えが先に立って結局は何も言えない、そんな過去の自分が嘘のように今は幸せだ、と。 かいつまんで話せば、至近距離にいる佐助が苦笑する。 「俺もだよ。旦那は色々型破りだけど、まさか受け入れてもらえるとは思ってなかった」 忍と主の恋なんて聞いたことがない。 そう言いながらも親指で頬を撫でられて、心地よさについ流してしまいそうになるのを必死でこらえた。佐助に触れられるのは心地よすぎて、今まで何度も誤魔化されてきてしまったが今のだけは聞き捨てならない。 「当たり前だ。俺がお前を受け入れぬわけがなかろう」 ほだされはせぬと強く心の内で念じるが、やはり少し勢いが削がれてしまった。おそらくはこうなることを見越して頬を撫でたのだろう、幸村が幼い頃から佐助に触れられるのを好んでいることを、この男は充分に知っている。 案の定予想していたのか、佐助は苦笑を深めて―――しかし柔らかい中にほんの僅か、困ったような表情が見えて。 「まったく、困ったお人だよ」 それは日頃から幾度となく、佐助が口に上らせるもの。 呆れと優しさが半分ずつ混ざったようなその声音は、佐助の声のなかでも特に幸村が好きな。 佐助はその事実を知らないが、だからこそ幸村が気づけたと言うべきか。その声に表情と同じく、微かに困った色があった。 「…佐助?」 「何?旦那」 しかしそれはすぐに消えてしまい、まじまじと見つめても柔らかい微笑を返されるだけ。 抱きしめられた腕の中、心地よい温度を感じながらもただ、不思議に思っていたのだけれども。 今思えば、佐助があの時抱いていたものは今の自分と同じものだったのだろう。 「旦那、入るよ?」 「佐助か」 不要だと言うのに、佐助は断りをいれるのをやめない。いくら飄々としていてもしっかりと線を引く己の忍に、僅かな不満を抱くのはこういう時だ。 襖の向こうからかけられた声に応じながらも起き上がろうとすれば、それを察したのか素早く部屋に入ってきて背中に手を差し入れ、助け起こしてくれる。傷はまだあるはずだが少しの痛みも感じないのは、幸村の体に負担をかけないように佐助が細心の注意を払ってくれているからだろう。 「大丈夫?」 「ああ、もうすっかりいい」 「んなこと言って、まだ傷は完全に閉じてないんだから。無茶しないでくれよ」 背に手は添えたまま、持ってきた薬湯を差し出される。湯飲みを受け取り、しかし口に運ぶことなくゆっくりと佐助にもたれかかった。首筋に額を寄せると、少し笑う気配の後にゆったりと抱きしめられる。 望んでいたことを寸分違わず叶えられ、だが今の幸村には、満足よりも不満の方が大きい。 ただ額を寄せただけ、それだけでこちらの気持ちを察するくせに、何故肝心なことに気づかないのだろうか。 「旦那、何不機嫌な顔してんの」 「…しておらぬわ」 見えないだろうに、相変わらず的確に突いてくる。それすらも今の自分には機嫌が下降する要素にしかなりえなくて、常と変わらない声で応えたつもりだったが不自然な間が空いてしまった。 自分の体調が万全でない今、どうしようもないことを望んでいるのは分かっている。しかし一度知ってしまったあの時間を求める心は止まらなくて、こうして佐助に八つ当たりとも言えない八つ当たりをしてしまう。 政宗に言わせれば遅すぎるらしいが、幸村はようやく他者と肌を重ねる意味を知った。接吻よりもずっと深く相手を感じることができ、幸せだと心から思える瞬間。 あの一瞬を己にとって唯一無二である佐助と共に迎えられることは本当に嬉しく、有り得ない話だが何も知らなかった頃に戻るのは到底できそうもない。 そう思うのに、もう久しく佐助の熱を感じていなかった。抱きしめるなど触れ合ったりはするが、それでも全てが満たされるあの瞬間には遠く及ばない。自分が戦で傷を負ったためだと分かってはいても、やはり不満が募る。 いっそ抱き合いたい、抱けと言ってしまおうか。こんなにも近くにいてその体温を感じることもできるのに、抱き合えないなんて。 「…あの時の佐助の気持ちが、今になって分かるとは」 「は?旦那?」 柔らかい微笑の中に僅かに覗いた、困った表情。あの時の自分は何も知らず、ただ佐助と抱きしめあえるだけで幸せで。 表情や声をつくるに長けた忍である佐助が、僅かにでも外に出したならそれは相当のものだ。 どれだけの我慢をさせてしまっていたのかと思うと同時に、確かにこれは抑えるには厳しいものがある、と。 愛しい忍の腕のなか、幸村は重いため息をついた。 相手の熱がほしくて仕方ないのに得られない、このじりじりとした気持ち。 2008.6/24 佐助には我儘幸村。 この話では政宗は幸村の(一方的な)良き相談相手です。小十郎といちゃつきながら、あの忍も苦労してんなあとか思ってればいい。 ご精読ありがとうございました。 |