『邂逅』





1.
「がはっ!」
最後の一人を屋根に叩きつけて、アレンはすぅ、と目を細めた。
「その程度の腕で俺を倒せるとでも思ったのか。出直して来い 」
冷徹な声で言い放つと、先ほど倒したうちの一人がヒ、と短い悲鳴をあげた。
自分達から仕掛けておいて何て様だ。
内心で舌打ちをし、それでも逃げようとする男たちを追いかけることはしなかった。
他国の忍ならばともかく、彼らはこの国の―――アレンと同じ 、この国の忍。
勝手に殺すわけにはいかない。
そう思っていたのに。
「この異人の子め!!」
ぴく、とアレンの神経に刺がささった。
声のした方を見やれば、他の忍に肩を貸してもらいながら逃げようとしていた、この騒ぎの主犯格の男。
仲間を替えてはアレンを打ち倒そうと何度も無駄なことをしているこの男は、あまりの悔しさに駆られて最後の遠吠えをした。
「皆がお前のことを何と言っているか知っているか!異人の、化け物の子だとよ!」
決して実力では敵わない相手。
ならば口でだけでも侮辱しようとしているのか、男の目は赤く充血している。
アレンが黙っているのをいいことに、男は不愉快な笑い声をたてた。
「いくらお前が強かろうとも、この城の者は誰一人としてお前を認めん。気色悪いその赤い目が、何よりもお前を異人の子だと証明しているからな!!」
その瞬間。
男の頬をクナイが音も無く掠めた。
男が目を見開くのと同時に、まるで紙で斬ったかのように細く鋭利な傷が開く。
どろ、と溢れた赤い血が黒装束に落ちて、ようやく男は。
「っうわあああっ!!!」
大絶叫をあげた。
紙に切られたかのように細く、そして長い傷口からはどくどくと血が流れ、足元の屋根までも伝い。
それを見ていたアレンはゆっくりとクナイを投げた手をおろして、次の瞬間一気に男の元へと跳んだ。
「!!」
着地すると同時にほぼ瞬間的に相手の首筋にクナイの切っ先を突きつける。
相手がそれに気付いたのはアレンからしたら長すぎるほどの時間が経った後で、目をす、と細めた。
「『異人の子』とこき下ろすくせに、その俺に勝てない貴様は、だったら何なんだ?」
「…っ…」
黒装束越しの喉がゴクリと動いた。
クナイから伝わるそれはあまりに如実で、嘲りの笑みがアレンの口に広がる。
「喉仏を抉られるのと今すぐここから突き落とされるのと。どちらがいい」
侮蔑の色を多分に含んだその声音は、間違いなく非情な忍のもので。
身近で囁かれたそれに男はガタガタと震え出し、その様にアレンはクナイを一層強く首筋に押し付けた。
あと少しでも、力をいれれば。
侮蔑のそれのまま、アレンは笑う。
「ヒ…」
そう一言男が喘ぎ、ついで下半身から異様な匂いがした。
男は、あまりの恐怖に失禁していた。
「…不様だな」
冷えた笑みのままそう呟いて。
アレンはゆっくりと、男から数歩離れた。
そして自分が男の首筋にクナイを突きつけている間一言も発せず、何もできないままただ男に肩を貸しているだけの忍に視線をずらし、ただ一言「行け」と言った。
忍は一瞬ためらい、それでもアレンがこちらを見ているのに気付くと慌てて男を連れて屋根を下がっていく。
すぐさまその影は闇に慣れたアレンの目でも見えなくなり、あんな男でも捨て置こうとしないとは余程の忠義者だなとぼんやりと思った。





2.
とりあえずその場から離れ、冷たい風が吹く屋根の上をゆっく りと歩く。
アレンの任務はまだ終っておらず、このまま自分に与えられている部屋に戻るわけにも行かない。
元々アレンがここにいたのは、敵国が鼠を放ったという情報が入って来たからだ。
そろそろと音を立てながら寒い季節に移り変わろうとしているこの時期に、何とも物好きな者がいたと思う。
もちろん忍の世界に季節など関係ない、命じられれば異を唱えることも無く頷くのが優秀な忍の証。
将軍の命ならば何でもしてきたしこれからもそのつもりで、その鼠を迎え撃てと言われた時も即座に頷いた。
そして今夜から寝ずの番だと準備をしていざ城の真上まで来てみたら、先ほどの者達が待ち構えていたわけで。
あの男の言葉を、思い出す。
赤い目。
アレンは黒髪だが、目だけは母親の色を継いだ。
いわゆる異人で、それでも父は母を愛していたし、後悔などしていなかった。
だが周りまでもがそうというわけではなく、父も母も色々な町を追われて。
アレンが独りになったのは、もう十年以上前のことだ。
二人とも亡くなって、そしてアレンも野たれ死ぬしかなくなった時に、この城の主が拾ってくれた。
アレンの赤い目を見ても何も言わず、忍として生きる道をくれた。
恩返しがしたくてただひたすら修行をして、アレンが手柄をたてれば城主は嬉しそうに笑ってくれて、ただそれだけがアレンが望むもので。
だがそれが気に入らないのか、あの男達は。
あれほど脅せばさすがにもう馬鹿なことは考えないだろうが、何故ああも言われなければならないのだろう。
たかが、赤いだけなのに。
「………」
城主のことは尊敬しているし、それこそ自分が役に立つ限り仕えるつもりだ。
だが城主は決して異人ではなく、アレンが独りなのは変わらない。
寂しいとかそんな感情ではないが、それでもずっと独りなのだと思うと。
「……やめよ、俺らしくない」
頭を軽く振って苦笑する。
それから今日はずいぶんと感傷的になっているのだと気が付いた。
忍である自分がこんな無防備な姿を見せるなんてもっての他だ 。
普段は自室でも滅多に表情を変えることなどないというのに、今日は話し言葉まで素に戻ってしまっている。
言われ慣れているのにおかしなことだと思いながら、口元を隠す布を取り出してしっかりとつけた。
屋根の上に上ってからつけようと思っていたのに、先程の男達のせいですっかり忘れてしまっていたのだ。
天を見上げれば今夜は満月で、風があるためか雲が少ない。
黒い屋根が穏やかな光に照らされて反射し、夜なのに明るいこういう日は自分達にとって活動しにくい日だ。
いつものアレンならば有り得ないのに、なんとなく、こんな日にわざわざ鼠は来ないだろうと思ってしまうのは、やはり感傷的になっているせいか。
闇に紛れる自分達を穏やかな光の下に曝け出す月。
大抵の忍は月を嫌うが、アレンは好きだった。
闇の中に独り浮かぶ月は例えようも無く穏やかで、独りの自分にも優しく。
しばらくの間、たたずんだままじっと見つめた。





3.
そして、トン、と。
常人では聞き取れない僅かな音。
誰かが屋根に飛び移ったような、そんな小さな音がした方向に反射的にクナイを投げた。
半瞬遅れてその場から跳び、物陰に隠れて気配をさぐる。
失敗した。
月に見とれて油断するなんて、全くもってらしくない。
内心で舌打ちしながらも相手の気配を探る。
十中八九、敵国の鼠だろう。
こんな月の明るい晩にやって来るとは、そんなにも己に自信があるのか。
「…」
そう遠くないところに一つ、消しきれていない気配がある。
その未熟さに下忍―――新人なのだろうかとその矜持故に眉を顰めるが、同時にだったらやりやすいとも思う。
新人の動きは模範的だ。
経験がないことから教えられた通りの動きをしてしまい、上忍からすれば予想するのは至極簡単なこと。
結構楽に終わるかも、なんて思っていたそれは、次の瞬間に驚きにとって変わった。
「っ!」
予想もしないところからクナイがアレン目がけて飛んできたのだ。
さすがに怪我を負うような間抜けはしないが、咄嗟に避けたせいで上半身がグラリと揺れる。
そこを狙うかのように更にクナイが数本飛んできて、一瞬の差で避けたはいいが今度は上に跳んだ相手の攻撃を迎えなければならない。
腰にある刀を抜く暇はなく、壁につきささった相手のクナイを瞬時に引き抜いて応じる。
ギン、と鈍い音がして互いに跳び退り、そこで初めてアレンは 先ほどの自分を叱りたい気分になった。
全然、楽じゃない。
気配を消すことに関してはまだ未熟だが、相手の意表をついて攻撃するところなどはそこらの中忍以上だ。
ましてや、甘く見ていたとはいえ自分が押されるなんて。
軽く唇を噛んで上を見上げる。
隠れようともせずに上部の屋根にたたずんでいるのは、気配を消しても無駄だということに気付いたからだろうか。
恐ろしく、頭の回転が早い。
「…はっ!」
ならばさっさと決着をつけないとこっちが危ない。
あっちは下忍、アレンは上忍なのだから負けることはないだろうが、それでも逃げることはできる。
逃げられて今以上に力をつけられては危険だと、考えるまでも無く分かることだ。
屋根を蹴って一気に距離をつめる。
刀を抜いて斬りかかるが寸でのところでかわされた。
そのまま第二撃を繰り出すが当たらない。
それでも避ける以外しないのは―――できないのは、避けるのが精一杯で応戦できないからだと見て間違いなかった。
なのに。
「っ!」
更に斬りつけようとしたその瞬間、ゾクと悪寒が走って頭が理解する前に本能で身を引いた。
だが少し遅かったのか、アレンの顔全体を覆っていた布がパラ リと黒い屋根に落ちる。
数歩後じさってそれを理解すると、今更のようにアレンの額に冷や汗が浮かんだ。
下から至近距離で投げられたクナイ。
あと少し後ろに身を引くのが遅かったら、顎からクナイが突き刺さっていたはずだ。
この目の前の忍は、応戦が出来ないまでも不意打ちをする余裕は持っていたということで。
「……お前」
ふと、相手の忍が口を開いた。





4.
男か、と頭の片隅で思いながら、忍である者がこんな場面で口を開くなんてもっての他で、何よりも呆然としている今のアレ ンだったら楽に殺せただろうに、一体何をとアレンは顔をあげた。
黒装束に包まれている為分からないが、何故か驚いているような気配が伝わってきた。
顔を覆っていた布が落ちて、自分の赤い瞳を見て驚いたのだろうかとも思ったが、どこか違う。
この赤い瞳を見ると皆化け物の子だと、恐怖が入り交ざった視線で見てくるが、何故か目の前の相手からそれは感じられなかった。
どんな豪胆な忍でも必ず恐怖して驚くのに、この男からはただ驚きのみが伝わってきて。
一瞬二人の間の時が止まり、そして。
「っ…」
「くそっ」
アレンの斬撃をかわして、相手は音も無く違う屋根に跳んだ。
今までとは違う驚きを相手から感じ取ってすっかり忘れかけていたが、相手は敵国の鼠。
悠長に向かい合ってる場合ではないと刀で斬りつけたが、あちらも正気に返ったのか間一髪でかわされた。
そして更に追おうとして相手を見上げて、アレンは。
「…え…」
月を背にこちらを見ている男。
その顔を覆っていた布がパラリと、先程の斬撃がかすっていたのかゆっくりと剥がれて。
それに隠されていたのは、黒い髪でも黒い目でもなく。
「…異、人…?」
月に照らされた髪は、その光と同じ色。
瞳は木々の葉よりも薄い、緑で。
アレンは呆然と、同じくこちらを見ている男を見上げた。
異人、だ。
自分以外の異人を、初めて見た。
その髪も目も、明らかにこの国の者じゃない色で。
先程の驚きは、相手も自分以外の異人に会ったのが初めてだったからなのだろう。
恐怖がまざっていないはずだ。
そう冷静に思いながら、相手から視線が外せない。
自分以外の異人に、初めて会った。
あちらも思っていることは一緒なのか、顔を見られたというのに逃げようともしない。
だがしかし、さすがに風に乗って人の声が聞こえてくると逃げないわけには行かず、屋根に落ちた布を拾ってちらりと最後にもう一度アレンを見てから、闇に跳んだ。
その姿はすぐに見えなくなり、一人残されたアレンはようやく我に返った。
何度か瞬きをして、先程までのことが夢でないことを確かめる。
「異人、だ…」
自分以外の、初めての。
ずっと、独りだと思っていたのに。
敵国の忍でも何でもよかった。
ただ独りではないのだと、そう思えて。
アレンはゆっくりと、その場に膝をついた。








2004 10 7